第22回山形鶴翔同窓会懇親会

 懇親会は昭和40年卒・菅原信義校友が司会を担当、来賓の堀清一鶴岡南高等学校校長、俵屋育鶴翔同窓会副会長、原田昇城畔同窓会山形支部長の挨拶があり、堀校長からは母校の進学状況・学業とスポーツ・文化活動について報告が、また、当総会に初めて出席の俵谷副会長は「7月の総会で副会長に選ばれたが、希望に起きて 努力に生き 感謝に眠る≠アとを信念にして鶴翔同窓会発展に尽くしたい」と抱負を語られ、原田昇支部長から旅行会、芋煮会、麻雀大会などで会員の懇親を深めている城畔同窓会の活動状況が披露されました。挨拶の後、同窓会総会実行委員表、石垣副会長の挨拶があり加賀山副会長の乾杯の音頭で懇親会がスタート、和やかな雰囲気のなかで時間を忘れさせるひと時となりました。また、来年度の第23回総会・懇親会の運営にあたる実行委員として、三浦整一(昭和31年卒)、梅沢早苗(同31年卒)、沖津律(同36年卒)、都築知(同36年卒)、田中貢(同36年卒)、鷲田良治(同36年卒) 、芦野真一郎(同41年卒)、斉藤伸一(同41年卒)の8人の校友が選任され、各人が決意を表明しました。今回の総会には前回を大きく上回る55名の校友が参加、閉会は佐藤主悦校友(昭和57年卒)の指揮で「鳳嶺月峯」、「校歌」を斉唱、来賓の城畔会顧問村山勇伍さんの音頭で万歳三唱、佐藤邦彦副会長の挨拶が中締めとなりました。しかし、盛り上がった雰囲気の会場を去りがたいとの声が上がり、最後に佐藤新一前会長(昭和16年卒)が「鶴中の野球部当時、今ではアマチュア野球の重鎮で、野球殿堂入りしている山本英一郎氏がまだ慶応大学の野球部で外野手をしていた時に、鶴岡ホテルに泊り込みで直接コーチをしてもらった。山本氏の宿泊経費等は、高校野球の平田杯を創設した鶴翔同窓会二代会長の平田貢先輩がすべて受け持ったというHistoryがある。なんとしてでも母校には甲子園に出場してもらいたい。また戦後まもなく山形新聞社の大平禎介さん(大正8年卒)と山形市役所に勤務していた皆川さん(鶴岡出身)から、山形に鶴翔同窓会をつくると命を受けて立ち上げた経緯がある。10人くらいの集まりで年1回数年にわたって開かれた。こうした先輩が切り拓いた道をわれわれはしっかりと受け継いで行こう。とぎっちゃ≠アと佐藤義三郎先生譲りの横文字を随所に織り込んだユーモアと熱意にあふれるスピーチでお開きとなりました。この雰囲気のもと会員はそれぞれのグループにわかれて夜の街に2次会へと繰り出しました。なお、次回の実行委員の方々は写真集トップに掲載しました。

堀 学校長 俵屋 同窓会副会長 原田 城畔会会長
 
 
第22回山形鶴翔同窓会・懇親会出席者(卒業年度順)
佐藤 新一 昭和16
大森  擴 昭和29
石垣 藤子 昭和30
梅澤 早苗 昭和31
佐藤 邦彦 昭和34
大山 駿次 昭和34
和田 英光 昭和37
菅原 信義 昭和40
芦野真一郎 昭和41
須田 茂樹 昭和42
工藤  寛 昭和44
佐藤 裕司 昭和46
井上 啓裕 昭和52
孫谷 直行 平成4
若木 健二 昭和18
遠藤 礼子 昭和29
今野 清二 昭和30
渡部  功 昭和32
清野  功 昭和34
沖津  律 昭和36
吉住 廣男 昭和39
五十嵐慶市 昭和40
齊藤 伸一 昭和41
平川 秀紀 昭和43
渡辺 真史 昭和45
山口 武雄 昭和48
佐藤 幸悦 昭和54
佐藤 知志 平成6
佐竹 規成 昭和26
富塚 圭介 昭和29
竹内 徳郎 昭和30
黒田 藤一 昭和32
加賀山隆士 昭和34
鷲田 良治 昭和36
野口 元三 昭和40
秋葉 政弘 昭和40
武田 善昭 昭和41
石向  隆 昭和43
斉藤 志直 昭和45
秋場 美晴 昭和48
佐藤 主悦 昭和57
鈴木 智壽 平成12
秋葉 正己 昭和28
萬年 良一 昭和29
金丸 龍二 昭和30
庄司 英樹 昭和32
忠鉢  元 昭和34
都築  知 昭和36
原  孝義 昭和40
朝井 正夫 昭和40
工藤 吉郎 昭和42
保科 幸夫 昭和44
金内 良一 昭和46
田村  優 昭和51
朝香  暢 昭和59