「文武両道」

64回(昭和32年卒) 庄司英樹
 
 「文武両道」
 毎年正月はTV三昧。2日と翌3日は家の周囲は雪景色だが、春を思わせる湘南海岸の風景を織り込んで展開される箱根駅伝TV中継を一喜一憂しながら視聴している。

 「巨大投資銀行」「排出権商人」などの経済小説で知られる黒木亮が自身の競技生活を綴った自伝的長編小説「冬の喝采」(講談社)を読んでから箱根駅伝への思いは強くなった。
 「これを書くために私は作家になった」という黒木の意欲作である。
 彼は早大競走部に所属し、昭和54年の箱根駅伝では2区の瀬古利彦から1位でタスキを受け取り、1位を保ったまま4区につなげるなど2回出場の経歴を持つ。名伯楽といわれた中村清監督の精神主義の指導に反発して退部しようとしたが瀬古に止められたエピソードも盛り込まれている。

 「箱根駅伝をしっかりと務めれば一生胸を張って生きていける。箱根駅伝の魅力は、皆がタスキの重みを感じながら責任感を持ってやっているから、その緊張感が人の心を打つのではないか」(wasedasports.com 「冬の喝采」著者インタビュー)
 黒木は卒業後に銀行、証券会社、総合商社に勤務し、国際協調融資、貿易金融などを手がけたあと平成12年に上梓した「トップ・レフト」で小説家としてデビューした。 「学業と競技の両立は難しくはなかった。成績は優が40、良が6、可が1。運動部だから勉強していないだろうと思われるのが非常に嫌だった」(前掲wasedasports.com )と大学生活は英語の勉強、競走部、学業、あとは本を読むことに力を入れていたと語り、『努力は無限の力を引き出す』と結んでいる。今の私には手遅れのメッセージだが、若い後輩に伝えたい重い言葉だ。

 山形を終の棲処とした友人にこの本を貸した。東京生まれの彼は「小中学生の頃、旧読売新聞社の出発地点に駆けつけ幌を外した関係者のトラックに頼み込んで乗せてもらって箱根を往復した経験がある」という熱狂的な箱根駅伝フアンだった。
 「冬の喝采」の読後感は「文武両道とは彼のような人を言うのだろう。顧みて自分の学生生活はなんだったのか」との自問する彼の姿に、心底からわが身も重ねた次第だった。

   彼と鶴岡市三瀬の老舗旅館「坂本屋」で郷土料理を食する機会があった。九代目当主の石塚亮(昭和46卒)は「文武両道」を両立させた同窓会員の中の一人だ。
山形県の高校陸上ハードル競技で県記録を樹立、早大競走部では関東インカレと全日本インカレの4×400Mリレーで2位の実績を残している。瀬古利彦は4年の時に入学してきた後輩で目立つ選手だったという。石塚は卒業後に東京の新宿と日本橋の料亭で修業。帰郷して、家業を継いだ。
 「冬の喝采」は読んでいないとのことで贈呈した。石塚は、藤沢周平の小説に出てくる料理『海坂膳』をはじめ地元庄内の豊かな山の幸・海の幸の食材を生かした四季折々の料理を出す名人でもある。

 「週刊 藤沢周平の世界」(朝日新聞社)に「海坂の食卓」を30回にわたり執筆、鶴岡公園に開館した「藤沢周平記念館」に写真展示の「海坂の料理」は彼が再現した作品。思いを込めて数多くの料理を再現したが、「展示されているのはとても嬉しい。希望を言えば、作品の文中に出てくる食べ物の役割の説明があれば‥」と残念がっていた。
 彼の料理を味わいながら、「冬の喝采」の読後感を聞きたいと友人と再度訪れ競走部や指導者のエピソードなども教えてもらった。

 庄内浜文化伝道師協会長として今年は山形新聞の日曜随想を担当して庄内浜の魚の最も美味しい食べ方を紹介、「料理は一人で作るものではない。自分とスタッフ、漁師、市場の仲買人、素材と料理に関わる人のすべての連携が必要なことを強調していた。
「和食」がユネスコ(国連教育科学文化機構)の無形文化遺産に登録が決まった。日本では洋食化が進み、地元の野菜や魚を使った「和食の食文化をどう保護するか」が課題になっている。庄内の新しい食文化の展開に彼にはさらなる手腕を発揮してもらいたい。
 東京箱根駅伝は来年で90回目、山形県縦断駅伝も2年後には60回の節目になる。近年、箱根駅伝でタスキをつなぐ県出身の選手は少ないのが寂しい。県縦断駅伝の歴史を反映し、新春の箱根駅伝を沸かせる数多くの県出身選手の雄姿を待ち望んでいる。

  
2013年12月7日