「ラスト・ソング」



  
64回(昭和32年卒) 庄司英樹
 
 「ラスト・ソング」
 人生の最期にどのような歌を聴きたいだろうか。
 危篤状態との知らせで弟の枕元に駆けつけた時に考えを巡らせた。高校卒業後は一緒に生活したことがないので、どんな曲を選んだらいいのか。
 小学校から中学校にかけて良く口ずさんでいた音楽コンクール小学校の部の課題曲「花の周りで」をスマホタブレットで検索して、You Tube からダウンロード。
 農林省に採用され、十三湖干拓事業、本省勤務を経て、JICA専門官としてセイロン(現スリランカ)に勤務した70年代、家庭を持ち子供にも恵まれた時代を照射する曲は、「あのすばらしい愛をもう一度」ではなかっただろうか。
 ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで作詞家として活躍の、きたやまおさむ/北山 修が先日、43年ぶりにテレビに登場、「熱中世代」(BS朝日)で「心のありよう」について話していた。
 精神科医でもある彼は、浮世絵の「母子像」に注目。幼児は母と共に眺めることで、言葉を覚え、思考のパターンを学ぶという研究テーマ「共視論」を語っていた。  互いに見つめあうのではなく、共に肩を並べて一つの対象を眺めた横のつながりで情緒的「絆」が形成されていくという。
 団塊の世代のヒット曲「あの時 同じ花を見て 美しいといった二人の 心と心が今はもう通わない あの素晴らしい愛をもう一度」と歌われた「愛」とは、この「横のつながり」を意味すると解説していた。
 弟の人生の後半は海外勤務が多く、病に倒れてからも「庄内に行ってみたい」と語っていたが、息子の住む広島県の病院に入院とあって、この希望をかなえてやることができなかった。
 高校の校歌を「マイ・ラスト・ソング」にしてやれないだろうか。検索したところ、なんとYou Tubeに「合唱と吹奏楽による鶴岡南高校式典用校歌」があるではないか。「創立125周年記念式典」の映像に素晴らしい演奏。
 これをダウンロードしてマイコレクションし、通夜にも繰り返し耳元で再生した。3年間の希望に満ちた高校生活の日々が脳裏を駆け巡ったに違いない。
 友人の佐々木征夫氏が制作したTV番組「百歳の現役教師」はNNNドキュメントで全国に放映された。小国町の基督教独立学園高校の書道担当「うめこ先生」、佐々木氏と何回か訪問してお話を伺い、お人柄に触れさせてもらった。
彼女は、私が亡くなったら「召されてバンザイ!」と言って「ハレルヤ・コーラス」を歌ってもらうことを希望していた。
 百歳になった92年3月に山形市で「桝本楳子・心の書展」を開き、まもなく逝去。告別式では卒業生と在校生がこの曲を大合唱。そして愛誦歌「雨」(八木重吉作詞 多田武彦作曲)「雨のおとがきこえる  雨がふっていたのだ あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう 雨があがるようにしづかに死んでゆこう」がマイ・ラスト・ソングだった。
 「心の書展」に出品されていた色紙「言葉 即ち 心」に惹かれ予約して入手した。その後に学園の助川 暢教頭先生が「キリスト教学校教育」(月刊 92年5月15日)に「わたしのアルバム 百歳を迎えた 桝本楳子先生」と題した紹介記事を見て驚いた。 「最近百歳を迎えてお書きになられた『言葉 即ち 心』という美しい色紙があります。生徒一人ひとりのために、祈りをもって書かれた楳子先生のお手本が、どれほど生徒の心を耕したでしょうか」
美しい歩みをなされた楳子先生を思い浮かべ、「言葉」を「歌」に置き換えるなどして、色紙を眺め心を耕している。
2014年5月12日