庄内弁「いろはかるた」

    
64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
≪庄内弁「いろはかるた」≫
 私が山形市に住民登録をしたのは昭和40年(1965)5月ですから、内陸での生活は今年で49年目になり、庄内での暮しよりもはるかに長くなりました。
 山形に住まいした当時、内陸と庄内とを結ぶ一般国道112号線は山越えの区間が未舗装で屈曲が多いうえに幅員も狭く、又冬期間は交通止めとなるほか、当時は自家用自動車の普及率も今日に比べれば問題にならないほど低く、山形から鶴岡に行くには、JRを利用するのが一般的でした。その区間距離は、奥羽本線の山形、新庄間が61.5キロメートル、陸羽西線の新庄、余目間が43.0キロメートル、羽越本線の余目、鶴岡間が15.3キロメートルで、合計119.8キロメートルあり、移動に要する時間はおおよそ4時間ほどでした。
 ところが、昭和56年(1981)に西川町月山沢から現在の鶴岡市田麦俣字清水尻に至る全長21キロメートルの「一般国道112号線・月山道路」が開通、また、平成13年(2001)には「東北横断自動車道酒田線(仙台市〜酒田市)」が供用を開始してからは現在では、自宅の近くの東北中央道の山形中央ジャンクションから「山形自動車道」の月山インターチェンジまでの有料道路(37キロメートル)、「月山道路」の21キロメートル(月山インターチェンジ〜湯殿山インターチェンジ)」、さらに「山形自動車道」の湯殿山インターチェンジから鶴岡ジャンクションまで(24キロメートル)を利用すると、距離的には87キロメートル、所要時間は1時間30分程度となって、山形、鶴岡間の移動は昭和40年当時に比較して比べようもないほど早くて便利になりました。
 この様な道路事情の改善、自動車の普及発達によって、当然のことながら内陸と庄内との時間距離はうんと縮まり、人・物共に交流は深まりました。山形市街でも山形弁に交じって庄内弁を良く聴くようになり、近所のスーパー等では庄内浜の鮮魚販売トラックが定期的に訪れるようになって、そこでは威勢のいい浜言葉が飛び交います。
 さて、鶴岡には両親の墓もあり、また、親戚もいますので時折月山越えをしますが、今年の正月には久しぶりに家内の関係の親戚会が開催され、この席で鶴岡在住の従兄弟が「庄内弁いろはかるた」なるものを披露してくれました。
 配布された資料を参加者が一首ずつ読み上げることにしたのですが、意外や意外首都圏育ちの連中は別として、在郷の若い世代が発音や抑揚などもうまく出来ず、また、その言葉の意味を理解できないのが結構あるのには驚きました。昨今、テレビニュースなどのインタビューの様子を見ていると、最近の子供たちはアナウンサー言葉で受け答えしていますし、その子供たちの母親たちも言葉は意外に綺麗なのです。私が子供のころはもっと方言が多用されていたように思います。それでも編者の正しい庄内弁のアクセントによる読み上げとその言葉の意味の解説を聞くと満座は大笑いの渦になるのでした。
 庄内弁の曖昧な発音や言葉の短縮、濁音の多用などは、秋田県や青森県などの日本海側の地域の言葉と大差がないといわれていますが、庄内弁を特徴付けているのは、なんといってもその言葉の響きの柔らかさではないかと思います。また、淡々としたイントネーション、微妙な鼻濁音、京都弁を思わせるおだやかな語尾等は内陸の言葉と違って庄内地方独特のものだと思います。
 さっそくこの「庄内弁いろはかるた」を披露することにいたしますが、以下の内容が皆さん方にどのくらいご理解いただけるでしょうか。
 なお、庄司英樹さんが『庄内弁は異国語』を、2004年8月27日に、2006年10月18日には『いとこ煮と庄内弁』と題する一文をそれぞれ当該ホームページに寄せています。
◆「庄内弁いろはかるた」(鶴岡市在住の伊藤 彰氏の編纂による。)
い いやんだおら ばばはんや そげだごと今はやらねでば
ろ ろぐでなし ろぐだ事しねぐで みでいらいね こっちゃこいでば
は ばんけとってきたはげ にであんべえした あねはん喰って見でくれ
に にくたらしなさ さるがしこくで あんげだ子 めんごくね
ほ ほげしねたて いいなだども こんなたげけろ もっけでがんすの!
へ へちゃへちゃて ほげだごとしゃべねもんだ なんだってしゃべちょだものの!
と どげれどげれ じゃまだはげ そっちゃいげ こっちゃくんな!
ち ちよっと そごまでいぐはげのー いっしょあばねが
り りこうぶってすましたたて ばけの皮へげでしまう
ぬ ぬるまっこい湯さへっど 風邪ひくぞ 今つんと待づでればいっしゃや
る ルーズで なにしってが とんとわがらねしょだ そのうちほげずらかくがも
お おめがたや おなごしょは しゃべちょだはげ おしぇね方がいい
わ わがた ちょっときて見だ もっしぇごどすっさげ みでれ
か ががちゃ おめもきて いっしょここで おらがださ かだれ おもしぇさげ
よ よもずのひもこ ちゃんと結ばねど 着くずれすんぞ
た だっぷら はがねど 雪道あるぐな やじゃがねぞ!
れ れろれろと あっちゃくせほど酔っぱらって はんずがしくねえが
そ そげじぎすっど みっともねえ あどで腹へったって知らねぞ
つ つんつるてになったこの着物 いづのまにこげ大きくなったんだろー おぼげたちゃー おら
ね ねむてくなったらいい子ださげ しょんべんしてきてとこさへれ
な なんだどこ きんのの話 とっぺさっぺ あわねでねがや あぎれだの―
ら らんぼして ぼっこした人 なおせばいいでねが おら知らね
む 昔昔あったげど 昔むつけで 話はじけて トッピンカラリンねっけーど―
う うそばっかりこいで だまがしてばっかり あの人は当てになんねぇ人だ
ゐ ゐばっているど 天狗の鼻おらいで 鼻びっちゃみたいになんぞー
の のーのーといってだって やじゃがね もずくたね子だの ほっとがいねもの
お 御天とうさまてって かがぼしさげ しゃっぽかぶってあそべ
く 栗こげえっぺもっらって もっけでがんす せば あとでのー
や やばちいごと いだの間 こげじょげしてしまって ちゃちゃど雑巾でふいでしまえ
ま 町の医者さいったば こーでいぐなったど だだはんよがったの
け 喧嘩ばかりしていで 仲いぐせばいいでねが どこがさけでやんぞ
ふ ふぐだびっきゃ ないだはげ 池さげろぐど ふえるのー
こ こげだこど むづかしくでできねでば やんだごとおめ しばいっちや
え えっぺくってくれ なんぼもあっさげの ぼたもち(春)小豆もち(夏)おはぎ(秋)
  となりしらず(おはぎは杵の音を知らない。)
て てんこふいであるぐさけ けづまずくなだ ちゃちゃと歩げ
あ あっちゃこっちゃほったらがしておぐはげ わがらねくなんなでねえがや
さ さっさどしまつしねど 学校さ遅れんぞ いづだって行き足かげでだもの
き きもけだちゃ まっくれどこがら急に出できたんだもの ぞっとしたっけ
ゆ ゆゆんべのうち水出しておいださげ しみなくでよがったのー
め めんごい子だごと おら家さもらわえれ んめものえっぺかせんぞ
み みじょけねの ○○子はん またごしゃがいで泣いだっけ あの子の家はのーいつもだなしや
し しよげでばりいだって しかたねえんだろー こんど頑張ればいいでねが
ゑ ゑんつこの中 あったこぐで 赤よく寝っだ 今のうちままざめしておご
ひ ひちゃひちゃして 何さも口はさむでしゃばり女子 いいどごねずのー
も ももひきはいで 足袋はいで 深ぐずはいで やまおかかぶってマント着て
せ せっかくこしゃえだ着物だもの こっちで着てみせればいい いいごといいごと
す 酸っぱくなったでごずけ うだんなももってね にでくうごとすっか うまくなんず
ん んだば まだくるのー んめよ 気っけてのー!
 ところで、同窓の井上史雄さん(68回、昭和36年卒)の著作に『日本語は年速1キロ動く』(2003年7月20日、講談社現代新書)があリます。この本は、今も発生している新方言が年間どのくらいのスピードで周囲に広がっていくのかを、各種新方言、つまり地方独自の言い方を追って調査した結果、大胆かつ非常に幅のある表現ですが、「年速1キロ」と提言しているものです。例を挙げますと、「鬱陶しい」、「煩わしい」、「うるさい」、「面倒くさい」、「気持ち悪い」、「邪魔」などの意味を持つ「ウザッタイ」という言葉は、「虫がうじゃうじゃいて気持ちが悪い」というような意味の東京多摩地方の独自の言い方が、1980年(昭和55年)代に都心に流入した言葉だそうで、今では全国に広がり、「ウザイ」という短縮形まで生み出して、若者たちが多用乱発しています。この書は綿密な全国調査結果を多様な図で示した日本語論の本で、気楽に読めますので紹介しておきます。
 また、井上さんは、2004年(平成16年)11月、NHKの「日本語なるほど塾」にも出演し、4回にわたって「近頃気になる敬語のはなし」と題して、「コンビニ敬語」、「敬語の乱れ」、「謙譲語と尊敬語の混同」、「丁寧語」に焦点を合わせて言葉の変化について話をされていますが、これも『日本語なるほど塾』(2004年11月1日、日本放送協会出版協会)と題して出版されていますので、興味をお持ちの方の一読をお薦めします。
2014年9月2日