山形の「芋煮」いろいろ |
64回(昭和32年卒) 渡部 功 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山形の「芋煮」いろいろ ≪はじめに≫ 「食文化・秋の芋煮会」を全国に発信するための「第26回日本一の芋煮会フェステバル」が去る9月14日、馬見ケ崎川原で盛会裏に終わりましたが、マスメディアのおかげでこの催しは全国的に有名になりました。そのせいでしょうか神奈川の知人から山形の芋煮についての照会メールがあり、各種資料をまとめて送ってあげたところです。しかし、あれほど芋煮の竈で賑わっていた馬見ケ崎川原も、今や晩秋の候となり人っ子一人いない状況です。 私は鶴岡で育ち山形で暮らしていますが、飯豊町中津川の「源流の森」に18年間通っていますので、最上地方を除くこの三地域の「芋煮」の食味を体験しています。そこで今回は改めて三地域の「芋煮」についての考察をしてみました。 ≪芋煮の歴史≫ 今更私がくどくど言うこともないのですが、『芋煮会のはじまり考』(烏兎沼 宏之著)などによれば、「芋煮」の始まりについては次のように言われています。 1600年代の江戸時代、今の中山町長崎付近は最上川舟運の終点であり、ここで降ろされた荷物は人足たちに背負われて狐越街道を通って遠く西置賜地方へと運ばれていましたが、何もかも不便な当時のこととて、酒田船と荷物引き取り人間の連絡がうまくとれるはずがなく、船頭たちは何日も待機を強いられたそうです。このような時、船頭たちは、港の近くの小塩と言う集落から芋を買い求め、舟積荷の棒鱈などと煮て飲み食いをしたのが「芋煮」のルーツと言われています。 これが昭和の初めごろになると、山形近郊の養蚕農家の人々が、秋繭後に総会を開き、川原に繭業者を招待して牛肉を用いた「芋の会」を開いたのですが、このような催しが県内一円に広がり、山形の秋の風物詩として今日に至っているのです。 ≪内陸の牛肉文化と庄内の豚肉文化≫ 同じ「芋煮」でも内陸地方(村山、置賜)は、牛肉を用いた醤油味、庄内地方では豚肉を用いた味噌味です。この違いはどこから来るのでしょうか。 「おいしい山形推進機構」のホームページによりますと、山形県と牛肉の関係は、1871年(明治4)、東京開成学校から米沢の「興譲館」へイギリス人チャールズ・ヘンリー・ダラス氏がコックの万吉とともに赴任したことに始まるとしています。彼が米沢産の黒牛の美味しさに驚嘆し、1874年(明治8)には万吉に米沢で初の牛肉店「牛万」を開店させ、翌年任期を終え帰郷する際には牛一頭を持参したということです。これがきっかけとなって米沢産の黒牛は「米沢牛」として販売され、その名声は全国に広まったそうです。もっとも、米沢、高畠などの置賜地方では古くから南部地方の「上り牛」を導入して農耕を目的に飼育しており、1681年(天和元)には牛に対する課税がなされていました。 山形県で牛の本格的な品種改良が始まったのは1900年(明治33)からだそうですが、この時は水田耕作を主体にした役・肉兼用牛でした。そして時代とともに「芋煮」にも牛肉が使用されるようになったとのことです。 一方、庄内地方では、1906年(明治39)に酒田市黒森地区に養豚が初めて導入されました。その後早くから品種改良や飼料の研究が進められ、現在では「庄内豚」ブランドが確立されるまでになっています。また、昔から農家では現金収入用と食用にするため豚を2〜3頭飼育していたこともあって庄内では豚肉は身近なものでした。 醤油仕立てと味噌仕立てとの違いですが、科学的な意味合いはわかりませんが、これは単に牛肉には醤油が、豚肉には味噌がとてもよく合うということだと思われます。 庄内の味噌仕立てには酒の代わりに酒粕が用いられますが、庄内の郷土料理である「孟宗汁」なども酒粕と味噌仕立てになっていますから、酒粕のコクと味噌との合わせは、代々受け継がれてきた郷土の味だと思います。 前述の通り私は、最上地方の「芋煮」を食した経験が無いのですが、最上地方は庄内地方と村山地方の間に位置しているところから、仄聞するところによれば双方の影響を受け味噌味と醤油味が混在しているようです。 ≪地域によって異なる具材料≫ 山形県内の「芋煮」については、内陸の牛肉使用の「醤油味」と豚肉使用の「味噌味」とに大別できるのですが、内陸でも村山地方と置賜地方とでは、牛肉使用の醤油味であってもその他の具材において違いがあります。更に置賜地方でも、東と西ではその使用する具材に異なる部分があるのです。 そこで、この違いが比較できるよう『つるおかおうち御膳』(鶴岡市発行)や「山形の郷土料理」(山形市食生活改善推進協議会発行)、それに現地での芋煮会に参加した経験を基に三地域での違いを一覧表にして示してみます。
以上でわかる通り、同じ「里芋」でも庄内地方では「カラトリイモ」(地元名「ズイキイモ」或は「ジキイモ」)と呼ばれるものを使用します。調味料では酒の代わりに酒粕を使用することがあり、出汁に煮干しを用いるので、これらが油揚げと相まって濃厚な味となるのが特徴です。 置賜地方のものでは、米沢では木綿豆腐を入れる例が多く、同じ置賜でも西の飯豊町では、牛蒡、大根などの根菜類が入り具沢山となり、蒟蒻も糸蒟蒻を使用することがあります。 「所変われば品変わる」と言う諺がありますが、山形県内でも一口に「芋煮」と言ってもその中身が大きく異なるのには驚きです。材料などから見て村山地方のものが一番シンプルのようですが、門外不出の種で作り続けられてきた山形の伝統野菜、神保家の「悪戸芋」などは、まるで絹のような舌触りが評判を呼び、高級食材として高値を呼んでいます。 なお、「所変われば品変わる」と言う諺は、14世紀中ごろの連歌集『菟玖波集(つくばしゅう)』に、「草の名も所によりて変わるなり難波の葦は伊勢の浜荻」からきていることを『成語大辞典』(主婦と生活社)で知りました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2014年10月30日 |