目出度い「万両・千両・百両・十両・一両」の組み合わせ

    
64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
目出度い「万両・千両・百両・十両・一両」の組み合わせ
≪はじめに≫
 年の瀬が迫ると花屋の店先には、菊や百合などの通常の生け花材料に加えて松や啓翁桜、それに赤い実を付けた千両、南天などが加わります。
 正月に相応しい、おめでたい植物としてまず思い浮かぶのは「松・竹・梅」で、常緑で命の長さを象徴する松、強い萌芽力とまっすぐに成長する竹、寒さに負けずいち早く花を咲かせる梅はめでたさを表します。また、「南天」も正月頃に赤い実をつけ、難を転ずるものとして珍重されます。加えて、赤い果実をつける「万両(マンリョウ)」、「千両(センリョウ)」、「十両(ヤブコウジ)」なども古来より正月の飾りとして人気の植物です。これらに「百両(カラタチバナ)」と「一両(アリドオシ)」を加えた目出度い組み合わせがあります。そこで、今回はこの組み合わせの植物がなぜ万両、千両、百両、十両、一両と名付けられたのか、なぜ目出度いのか、これらが和歌や短歌に読み込まれているのかどうかなどについて調べてみましたので、そのことを報告してみたいと思います。
 植物図鑑で見てみると、これらはいずれも常緑の樹木で、万両、百両、十両の3種は同じ仲間のヤブコウジ科、千両はセンリョウ科、一両はアカネ科になっております。
≪万両(ヤブタチバナ・藪橘)≫
 「万両」ですが、和名を「ヤブタチバナ(藪橘)」と言います。百両と称される同じ仲間のカラタチバナ(唐橘)よりよく枝分かれし、葉も茂り、果実の色も深紅色で輝きがあり、たわわに数多く垂れます。当初は「まん竜」、「万量」、などと綴られていましたが、文政年間(1818〜1830)の頃から「万両」が庶民に定着し始め、66品種を数える大流行園芸植物になり、後述の千両と称される草珊瑚・クササンゴよりも見栄えがするところから、一桁上位の「万両」とその名称が定着し、縁起の良いものとして正月の飾りや庭木、鉢植えとなどに用いられる人気植物となりました。また、『日本大百科全書(二ッポ二カ)』(小学館)によれば、江戸時代の園芸書である『草木奇品家雅見(そうもくきひんかがみ)』(1828)には斑入りや葉変わり12品種が掲載されているとのことです。
 和歌や短歌に詠まれていないかどうか探してみたところ、江戸時代の女流歌人、加賀千代女(元禄16年(1703)〜安永4(1775))が詠んだ"万両は兎の眼もち赤きかな"と言う句がありました。江戸時代の子供たちは雪で作った兎に万両の実を目玉にして遊んでいたようです。また、明治生まれの富安風生(明治18年(1885)〜昭和54年(1975))の句に"万両や使うことなき上厠"がありましたが、日陰を好む万両はよくトイレの近くに植栽され、手水鉢と対になっている場合が多いのです。
 さらに、遊佐町出身の鳥海昭子(本名:中込昭子)さんが『ラジオ深夜便・誕生日の花と短歌365日』の12月12日のところで、"実生なるマンリョウ赤く色づきて年の瀬の庭にぎやかになる" と詠んでおり、「小鳥が運んできたのでしょうか、知らぬまに庭で育っていたマンリョウの実が、赤く色づいて庭を明るくしてくれました。年の瀬にふさわしい賑やかさです」と、年の瀬に新年の準備をしている様子をコメントしています。
 『日本大百科全書(二ッポ二カ)』(小学館)や『跡見群芳普』(あとみぐんぽうふ:跡見学園大学嶋田英誠さんが編さんするウエブサイトには、中国では、万両の根を「朱砂根」と言い、鎮痛、解熱、解毒に用いると述べています。
 なお、「万両」は、葉が「互生」(一つの茎の節に葉が左右に対称につく)で、果実は葉の下側に付きますが、「千両」は葉が「対生」(茎に互い違いにつく))で、果実が葉の上にあることで簡単に見分けがつきます。
≪千両(クササンゴ・草珊瑚)≫
 前述の跡見学園大学元学長嶋田英誠(しまだ ひでまさ)さんが編纂するウエブサイト『跡見群芳普』(あとみぐんぽうふ)によると、"「千両」は「クササンゴ(草珊瑚)」と称するが、古くは「仙寥花(センリョウカ・センリョウ)と呼ばれ、大阪の医師寺島良安が江戸時代の正徳2年(1712)に完成させた百科事典・『和漢三才図会』には『仙霊草」とあって、この「仙霊(蓼)草」は漢方では、リュウマチ・神経痛などの痛みの改善、当初の風邪に効果を発揮する" とあります。また、『草木名の話』(和泉晃一)によると、 "この植物が中国から伝来した当時は、「蓬莱飾」(三方の上に米をもり、その上に熨斗、鮑、勝栗、昆布、野老(ところ:ヤマノイモ科の蔓性多年草)、ほんだわら(ぎばさ)、橙などを飾った新年の祝いもの)として導入された"と言い、"この仙寥花あるいは仙霊が江戸時代の後期になると「千両」の字が当てられるようになった" とありました。さらに、同じ赤い実を付けるヤブタチバナに比べて見劣りがするところからも、格下の「千両」と名付けられたとの説もありますが、いずれにしても赤い実と常緑の葉は、おめでたい嘉祝の植物として正月用の切り花等として床の間に飾られるようになったようです。更にカラタチバナ(唐橘)に比べて5ないし10個と数多くの赤い実をつけるので、カラタチバナの「百両」に対して上位の「千両」と位置づけられたとする説もありました。
 なお、クササンゴは、漢方の方では、果実の外果皮、中果皮を取り除き、陰干しにして乾燥させたのち、胡麻のように軽く炒って食用にするそうです。
 千葉大学理学部名誉教授栗田子郎の『植物の文化誌』によれば、植物学的にみた場合、草珊瑚(クササンゴ)は被子植物(胚珠が子房に包まれている植物(マツ、イチョウなど。)でありながらシダや裸子植物(胚珠が子房に包まれずに、露出している植物)と同じように仮導管(主に裸子植物の水分・養分を送る導管において細胞の両端の膜が残っているもの。)を持ち、花の構造も特異的で蕚や花弁を欠き、しかも小さな一本のオシベがメシベの脇腹に付着するという特異な植物として有名であることが分かりました。
 前述の鳥海昭子さんが『ラジオ深夜便誕生日の花と短歌 365日』の12月15日の歌として詠んだ歌に"ゆたかなる思いふくらむセンリョウの赤い実つぶつぶこぼれたりして"があり、「正月飾りの準備をしていると、今年も無事終わったと安堵する気持ちが膨らみます。お金に見立てられるセンリョウの赤い実は、ちょっとこぼれても、それさえ豊かに思えます」と言葉を添えています。
≪百両(カラタチバナ・唐橘)≫
 「百両」は「カラタチバナ(唐橘)」と言います。『木の名の由来』(深津 正・小林義男、東京堂出版)によると、 "漢名を「百両金」、略して「百両」と称する植物が、江戸時代に中国から伝来した際に、カラタチバナにこの名を当て、庭木、鉢植えなどを正月の飾りにした"とあります。また、住友化学園(株)のホームページでは、"江戸時代の寛政年間(1789〜1801)に斑入りの変わりものの栽培が大流行し、百両単位と言う高値で取引がなされたことに因み、「百両」と名付けられた" と述べています。さらに、『日本植物図鑑』(村越三千男編)をみると「春不老」の表記があり、これは中国語でカラタチバナを指す言葉で、「春は年を取りません」と言う意味のようですから、中国でも縁起のいい植物としてとらえているようです。
 なお、果実は生食あるいは果実酒としても利用できるとのことでした。
 いずれにせよ5ないし7個の実をつける「カラタチバナ」に「百両」の名前が付けられ、同じように赤い実を付けるが、その数が2ないし3個しかない「ヤブコウジ」を一桁下の位である「十両」と名付けたといわれています。
≪十両(ヤブコウジ・藪柑子)≫
 「十両」は和名を「ヤブコウジ(藪柑子)」、或は「アカダマノキ(赤玉の木)」と言い、古い名を「山橘(やまたちばな)」といって万葉の時代から和歌に詠まれており、手持ちの『萬葉集』(伊藤 博、集英社文庫))でその数を調べてみたら5首(4−669、7−1340、11−2767、19−4226、20−4471)がありましたが(類似歌1首)、この時代は、もっぱら鮮紅色の実の美しさに注目していたようです。
 なお、万葉集ではヤブコウジを「山橘」としているのは、日本に古くから野生していたミカン科の日本固有の柑橘の「橘(タチバナ)」の葉に「藪柑子」の葉が類似していることからで、このごろまではヤブコウジに嘉祝の意味はなかったようです。
( 4巻 669−春日王)
 あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ(意味:山陰にくっきりと赤い藪柑子の実のように、いっそお気持ちをはっきり面に出してください。そうしたら人が聞き語り伝えて、やがてお逢いすることもありましょう)
( 7巻1340−作者不明)
 紫の 糸をぞ我が槎(よ)る あしひきの 山橘を 貫(ぬ)かむと思ひて(意味:紫色の糸を、私は今一生懸命槎り合わせている。山橘の実、あの赤い実をこれに)
(類似歌―10巻1987−作者不明) 
 片槎りに 糸をぞ我が槎る 我が背子が 花橘を 貫(ぬ)かむと思ひて
(11巻2767−作者不明)
 あしひきの 山橘の 色に出でて 我(あ)は恋ひなむを 人目難(かた)みすな(意味:山の木陰の藪柑子のまっ赤な実のように、私は恋心をあたりかまわず顔に出してしまいそうだ。なのにあなたが人目を気にするなんて・・・・)
(19巻4226―大伴宿祢家持)
 この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む(意味:この雪が)消えてしまわないうちに、さあ行こう、山橘の実が雪に照り輝いているさまもみよう)
(20巻4471―大伴宿祢家持)
 消(け)残りの 雪にあへ照る  あしひきの 山橘を つとに摘み来(こ)な(意味:幸いに消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、その山橘の実を、家づと(歌人への苞(つと:土産の意)にするため行って摘んで来よう))  

 ところが、平安時代の『源氏物語 浮舟』(底本:角川文庫 源氏物語、現代語訳:与謝野晶子)には次のような記述があり、縁起のいい植物として描かれています。
 正月の初卯の日、匂宮が妻の中の君の部屋で若宮をあやしていた時、宇治の浮舟の侍女右近から中の宮の侍女大輔にあてた包文と立文が届く。手紙には可愛らしい卯槌(糸所から朝廷に奉ったもので、桃の木を長さ三寸ほどの四角柱に形どり、中心部に縦に穴をあけ、五色の組み糸を通して垂らす縁起物で、室内の柱に掛けたり、腰に付けたりすれば災いが避けられるとされた。)が添えられていた。

・・・卯槌をかしう、つれづれなりける人のしわざと見えたり、またぶりに、山橘作りて、貫き添えたる枝に、まだ古りぬ 物にはあれど 君がため 深き心に待つと知らなむと、ことなることなきを「かの思ひわたる人のにや」と思し寄りぬるに御目とまりて・・・
本文現代語訳:・・・卯槌が見事な出来で、所在ない人が作った物だと思えた。松の二股になったところに、山橘を作って、それを貫き通した枝に、まだ古木にはなっておりませんが、若君様のご成長をこころから深くご期待申し上げております。こんな平凡な歌であったが、常に心にかかっている人の作であるかもしれぬ」ということで興味をお覚えになった。)・・・

 それから前述の『和漢三才図会』では、女の子が髪飾りに赤い実と小枝を使用したそうです。
 このようにみてくると万葉時代以降に長寿を祝う意味でヤブコウジを飾る風習が始まったと考えることができます。そして、『植物の文化誌』(千葉大学理学部名誉教授栗田子郎)によると、江戸時代の中期以降になると、冬の室内装飾としても愛されるようになったようです。  造園の方では、茎が地下茎で増えるので、樹木の根元や燈籠の元に「根締」(庭木や燈籠などの根元に植える低木あるいは草類)として、あるいはグランドカバーとして用いますが、漢方の方では 横に這う根のことを「紫金牛(しきんぎゅう)と言って解毒薬、利尿、喉の腫瘍、咳止めなどに使用すると言うことです。
 その名の由来ですが、「百両」であは「カラタチバナ(唐橘)」と対比すると、その実の数で劣るため、下の位である「十両」に位置付けられたと言います。
≪一両(アリドオシ・蟻通)≫
 「一両」は「アリドオシ(蟻通)」と称しますが、それは葉が対生し、短枝が変化した鋭い8〜20ミリメートルほどの棘があり、この棘が蟻をも刺し通すということでこの名が付けられました。
江戸っ子が洒落で「千両、万両有り通し(金は千両も万両も一年中ある)」と語り、正月の縁起物として生花等に使われるようになったようですが、関西では鉢に千両、万両とともに植えて、やはり「千両、万両、有り通し」と呼んで床の間に飾るようになったそうです。
 由来は、万両、千両、百両、十両の次の空席を埋めるために「一両」を当てたのだと言われ、漢方では利尿、鎮痛を目的として処方されるそうです。
≪まとめ≫
 以上、それぞれの植物の由来などを見てきましたが、表にまとめてみると次のようになります。
区  分 万  両 千  両 百  両 十  両 一  両
名称 ヤブタチバナ
(藪橘)
クササンゴ
(草珊瑚)
カラタチバナ
(唐橘)
ヤブコウジ
(藪柑子)
アリドオシ
(蟻通)
ヤブコウジ センリョウ ヤブコウジ ヤブコウジ アカネ
樹高
(メートル)
〜1 〜0.5 〜1 〜0.3 〜0.6
利用方法 根を「朱砂根」と言い、鎮痛、解熱、解毒に リュウマチ、神経痛等の鎮痛、初期の風邪への効果 真っ赤に熟した実は生食、果実酒 解毒薬、のどの腫瘍、咳止め 利尿、鎮痛
花言葉 慶祝、固い誓 富貴、可憐 富、財産 明日の幸福  
活用 寄せ植え、鉢植え 寄せ植え、鉢植え 寄せ植え、鉢植え、根締、グランドカバー 寄せ植え、鉢植え 鉢植え、万両と千両とで寄せ植え
名前の由来 百両や千両との対比から(見栄えがよりよい) 仙寥花、仙霊(蓼)草などから転じて 百両金(百両)などから転じて カラタチバナとの対比で(実の数で劣る) 「千両、万両有り通し」の組み合わせから

2015年1月9日