庄内藩士・相良勝之助が残した史料四点(追記) |
64回(昭和32年卒) 渡部 功 | ||
庄内藩士・相良勝之助が残した史料四点(追記) 上記拙稿は2013年10月1日にホームページに登載されたものですが、本日(2015年4月23日)、第81回(昭和49年卒)で、井岡寺(せいこうじ)の大沢淳志さんから本稿の≪着発弾伝授≫の項の記述に関して次のようなメールが届きました。 @ 井岡の山の調練場は「糀山(こうじやま)です。河内山とも書いたようです。 A コレラが流行ったとき(筆者注記:明治28年か)、罹患死亡者を火葬にした場所とも謂います。 B オオミスミソウが発見された場所でもあり、標準標本が山形県立博物館に保存されていて、採取地は河内山との記載だそうです。 C 井岡寺の枝垂桜は例年より早く咲いたものの先日の嵐であっという間に散ってしまいましたが、グーグルマップに数枚載せてありますので、お暇なときにご高覧ください。 以上ですが、本稿の≪着発弾伝授≫の項の記述に関する@について早速登載文をチェックしてみたところ「糀山(かばやま)」と表記していました。ここはご指摘の通り「糀山(こうじやま)」と表記すべきでものであり、「糀山(こうじやま)」と訂正させていただきます。 次に、メールのBについても初めて耳にした事項であり、調べてみた結果は次の通りでした。 『みちのく山形の植物入門』(石栗正人)によれば「オオミスミソウは、別名ユキワリソウの名がある。新潟県は全国一の産地県で、この植物の品種改良が盛んである。近縁のものにミスミソウ、スハマソウがある。基本変種のミスミソウの品種がスハマソウ、オオミスミソウと分類されている。大きな相違は根生葉の形や毛の有無にある。ミスミソウの葉片の先端は鋭く尖る。それが丸みを帯びたものをスハマソウ、葉の裏の葉脈上に毛が生えており、大型で花色も色々で美しいものをオオミスミソウと呼んでいる。」とあり、また、『郷土の先人・先覚者89』(荘内日報社)の「植物学者 マルバシャリンバイ温海北限を明らかに 村井貞固(むらい さだかた)」(若松多八郎)には「先生の業績は温海嶽、高舘山、飛島その他の地の植物相を、地域別に初めて明らかにした事であり、更に食用野生植物、植物方言等身近なものも専門的立場で明らかにしている。この間自らつくられた植物標本も膨大な数に上がり、そのうち特に貴重なものは県立博物館に納められている。 これらの業績の中で特筆されるのは、県指定天然記念物(昭和31年指定)となっているマルバシャリンバイが、温海町(現・鶴岡市)が北限である事、ムベは飛島が北限である事を明らかにし、さらに春を彩るオオミスミソウ(ツチザクラ)は、他とは異なるとして鶴岡が日本の基準産地(筆者注記:新種記載の基準になる種の戸籍のような場所のこと。)として確立された事に貢献したことである。」とあって大先輩村井貞固さん(第15回・明治40年卒)が井岡の「糀山」をオオミスミソウの「基準産地」とされたことがわかりました。 なお、「オオミスミソウ」のことを鶴岡と同様、佐渡の小木地区では「ツチザクラ」と、秋田県の成瀬地区では「オオイワウチワ(イワウメ科)」のことを「ツチザクラ」と呼んでいるようですが、「ツチザクラ」というのはどうやら地方ごとのある植物に対する方言のようです。 |
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2015年4月24日 |