「海坂藩」の原風景をたどる旅

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●「海坂藩」の原風景をたどる旅
 四国の高松で現役を退いた平成の三屋清左衛門≠ゥら独り言のEメール。「飲み屋涌井≠フ女将みさ≠ヘどうしているだろう。部屋を温め、ハタハタの湯上げを準備し、酒を燗して待っているのでは‥」
 去年秋、東京で開かれた同級会。昭和30年代に青雲の志を抱いて学び舎に集い、卒業して全国に散じて40数年が経過した。あの時の顔と名前は、あらためて自己紹介しないと一致しない。「山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』、来年封切りの黒土三男監督作品『蝉しぐれ』で知られる海坂藩が藤沢周平(昭和21年卒)と同じ私のふるさと。この集いの中に海坂藩の原風景を訪ねたいとつぶやいている人がいる。希望があれば地元幹事役をつとめる」と挨拶した。
 「三屋清左衛門残日録」は藤沢周平が城山三郎著「毎日が日曜日」をヒントにした作品。経営評論家の江坂彰は、この作品は、定年後にどう生きたらいいかを江戸時代の物語として描かれている。江戸時代も現在もいちばん大事なのは人貧乏≠オないことである。人は情報をもたらしてくれて頭を活性化してくれる。この小説はまさに、理想といえる定年後の生活をしみじみと実感させてくれるという。
 5月の天神祭にあわせて2泊3日の海坂藩の旅に四国・九州・大阪・関東圏・仙台からなんと13人もの申込みがあった。大半が一線を退き、「全日空GENERATION」(全日空いている世代)である。外食券食堂に通ったわれわれ60年安保世代にとって、「蝉しぐれ」の淡い恋と友情、「残日録」のみさがとったしぐさのくだりを何遍繰り返して読んだか知れない。みさは、つと清左衛門に胸を寄せてきた。そして低い声で「ちょっとだけわたくしを抱いてくださいませんか」硬派の作家中野孝次は「控えめで、自制心に富み、献身的で、躾というもののあった時代の女はかくありしか」と心がゆさぶられるという。一度読んだら忘れられない思いの切なさを求めて庄内に来るメンバーもいるかもしれない。旅行連絡はすべてEメール、旅のテキストは「藤沢周平が愛した風景」山形新聞社・編(祥伝社黄金文庫)を書店で買い求めてもらうことにした。
 この企画を鶴岡にいる小学校や高校の同級生に話をした。「海坂藩の江戸屋敷は?」の問い合わせには、同級生が江戸切絵図と現代図をコピーして山形まで届けてくれた。これをもとに所在地を知らせると「上屋敷の場所確認。なんと、神田橋御門の側にあって、酒井雅楽頭の上屋敷の筋違いでしたか。仙台伊達家のお家騒動では、この酒井忠世の上屋敷で原田甲斐の件がありましたね。中屋敷も確認しました。伊勢国津藩藤堂和泉守家の上屋敷の隣ですね。神田川に架かる橋に「和泉橋」があって、更に「左衛門橋」有ります。その間に、あの有名な「柳原土手」が有りますね。いやはや、懐かしくタイムスリップいたしました。現代は「神田佐久間河岸」と呼ばれているようですが、中屋敷はもう一つありまして、神田川をもう少し下って、先の「左衛門橋」の側にありませんか?JR 総武線の浅草橋駅の辺り、浅草橋ビジネスホテル辺りにありました。下屋敷も確認しました。錦糸町駅と四の橋の間ですから、錦糸堀公園の辺りでしょうか」とまたEメールが届く。彼はすっかり海坂藩と現在を回遊している。
 やはり同級生があなた達の旅行にぴったりの資料だと「海坂藩の原風景」と題した荘内日報のカラー刷りの正月特集号を郵送してくれた。これだけはEメールに添付して送信することはできず、荘内日報社に事情を述べて部数を分けてもらい参加者に郵送した。この同級生は海坂藩めぐりのボランティアガイドも紹介してくれると言う。「レンタカーの運転は観光バス運転の経験がある主人にまかせて」とこれまた同級生の電話。湯田川に集団学童疎開した経験をもつ知人は去年暮れに山形に来た際に「その宿は私が疎開した旅館だ。女将に私の名前を出すと便宜を図ってくれる」と言ってくれたが、東京に帰ってまもなく急逝。中学校の恩師までが「俺も資料あるから送る」とのこと。こうして数多くの人が、わが故郷「海坂藩」の原風景をたどる旅の成功を願って支えてくれている。
 この旅行でハタハタとぶりこ、口細かれい、赤蕪の漬物、民田なす、枝豆、孟宗汁、小鯛、さくら鱒、どんがら汁、からげなど藤沢周平作品に登場する味覚をすべて味わえると思い込んでいる食の探訪者もいるようだ。気のおけない古い友人と飲む酒ほど、うまいものはない。
 藤沢周平が「生まれた土地に行くたびに、私はいくぶん気はずかしい気持ちで、やはりここが一番いい」(ふるさとへ廻る六部は)という庄内平野。全国からやってくる連中に、この風景は果たして日本人の郷愁を呼び起こさせてくれるだろうか。
 それにしても「用心棒日月抄」の佐知、「残日録」の涌井の女将みさを偲ばせる、慎み深く、控えめで、恥じらいのある女性との出会いは、あちこちの店の戸を開いてまわっても自信がない。ならば、心地よく酔いがまわったらふとんをかぶり、夢の中で再会してもらうことにするか。(平成17年4月8日)
2005年4月8日