涅槃会の団子まきと痩せ馬

    
75回(昭和43年卒) 青柳 明子
 
 涅槃会の団子まきと痩せ馬
 ずいぶん以前の話になる。二月のはじめ頃、当時、信州松本市で学生生活を送っている次女から小さな郵便小包が届いた。中には平たい餅のようなものが六個、ビニール包装されてあり、「やしょうま」と記されている。添えられた手紙には、この時期、松本市内のスーパーでは普通に売られているが、二月半ば過ぎでおしまいになるので、買って送ってみます、とある。
 さて、この「やしょうま」はすべてになんとも言えぬ雅味のある花模様が浮き出ている。梅の花、カタクリの花、蒲公英など色とりどりの花が、直径五センチ、厚さ一センチほどの団子の円の中に伸び伸びと咲いている。
 同封の説明書によれば制作は「筑北村坂井郷土食研究会」というところであり、「やしょうまは米の粉で作られているもので、自然の食材で色を付け、様々な模様を描いたお菓子です。お餅と同じように焼いてお好みのタレで召し上がってください。筑北村では、お釈迦様が亡くなられた日の二月十五日か、前日の十四日の夜に『やしょうま』を作って、お釈迦様やご先祖にお供えして、それを多くの人に分けてあげる行事があります。これを『涅槃会』と言っています。」
 なんと、これはこの土地の「涅槃会」の行事なのであり、やしょうまは「痩せ馬」という言葉で歳時記にも載っているお釈迦さまへの供物の、信濃バージョンなのであった。 では、何故丸くて平たい団子が「痩せ馬」を語源に持つのか?ちゃんと説明があった。「名前の由来は、一説にはダンゴを手で少し固く握ると馬の形に似ているからところから、痩せ馬→やしょうまと訛ったと言われています」(筑北村HP参照)
 とりどりの花模様は、おそらく金太郎飴や海苔巻きを作る要領で団子の断面に打ち出されるのだろう。やしょうまを作るのは案外手間がかかりそうである。この民芸品のような団子を私は電子レンジで柔らかくし、缶詰の小豆餡をのせて食べてみた。米粉の団子に特有の鄙びた味がして、とても懐かしい気持になった。
 細い糸のように繋がる味の記憶は、幼い頃のふる里鶴岡のお寺の行事につながるようだった。

   故郷の庄内鶴岡の菩提寺(曹洞宗)では、二月頃に「団子まき」という行事をした。直径二センチくらいの、渦巻きや幾何学模様の入った小さな平たい団子を撒くものだった。幼い私は祖母に連れられてお寺に行き、小さい団子が板の間に撒かれるのを、がんばって拾った記憶がある。それが「涅槃会」の行事だったのかは定かではないが、時期的には一致する。きれいな模様入りの小さな団子は、まだ根雪の積もるこの地方の、だが確かな春の先駆けのようにも感じられた。拾った団子はせいぜい五、六個なので、家の火鉢で焼いて貰ってそのまま食べたように思う。
 鶴岡の知人に聞いてみたところ、そのお寺では数年前まではやっていたけれども、もう現在は行われていないという。手のかかる団子作りをする人がいなくなってしまったらしい。
 ところでその後、新潟の地元のテレビニュースをみていたら、偶然「団子まき」という言葉が出てきたことがあった。
 佐渡の或る地方(聞き逃した)の伝統行事で、三月十五日に行うのだという。それはまさに「涅槃会」ではないだろうか。旧暦の二月は新暦の三月なのだから。
 画面には集会所のようなところで、ピンポン球くらいのお団子を盛大に撒く年配の男性たちと、それを拾おうとはしゃぐ子供たちや婦人たちが映っていた。色とりどりの球形の団子である。ある男の子はビニール袋いっぱいに拾った団子を得意げに見せて「近所の人にも分ける」と言っていた。ナレーションは「この団子をお粥などに入れて食べると一年間息災に過ごせるという言い伝えがあるそうです。」
 ところ変われば、やり方も食べ方も変わるのだろう。涅槃会という言葉は出てこなかったところを見ると、元々の意味にはこだわらないらしい。
 ひとつ面白いことに、年配の女性が「これを食べると『蛇迎えに会わない』と言われています」と語っていたことだ。  蛇に出迎えられるような場面に遭遇しない、ということだろうか。この表現の仕方に、「蛇」を神秘的な存在として畏怖するという人々の感じ方が伝わってきた。あるいはもっと広く考えて、禍々しいことに出会わないように神仏の加護を祈るのかもしれない。
了 
 
2016年2月13日