「母校は七つ蔵の跡地」

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●母校は七つ蔵の跡地
 5月25日は天神祭り。この日、四国・九州・関西・関東から集まった同級生(同窓生の半田豊作氏も参加 65回卒 府中市)13人と、藤沢周平氏(昭和21年定卒)作品の原風景を訪ね歩いた。案内人は幼友達が推薦してくれた墨井松生氏(54回卒 鶴岡藤沢周平文学愛好会会員・鶴岡観光ガイド)。墨井氏は全国からやってきた13人のために“化け物”姿で酒をぶら下げて登場、「海坂藩」ゆかりの地を案内してくれた。
 母校の正門左に「七つ蔵跡」の看板があり、墨井氏はここで足を止めて解説。山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」でお役人がコメ蔵を巡視に来た時、清兵衛が「着物が汗臭いから離れろ」と追い払われるシーン。
 このコメ蔵のあったのがこの場所とのこと。庄内藩の年貢米は七つ蔵、加茂蔵、酒田蔵などに保管された。母校の場所には御扶持方御蔵、櫛引蔵、京田蔵など七棟の蔵があり、家臣の扶持米を貯蔵し、非常の時は兵糧蔵になったという。この蔵はもう存在しないと考えられていた。旅行の後に幼友達の日向常浩氏(64回卒・父君は高山樗牛賞受賞の故日向文吾氏)と墨井氏を交えて懇談の機会があった。なんと日向家の蔵は七つ蔵の一棟の半分で、残りは中村建設(陽光町)の蔵として移築され現存するという。これは墨井氏もまったく知らず、その存在に驚いておられた。
 正門脇には定時制の課程を閉じる記念碑「星窓」があり、墨井氏はここでも解説してくれた。藤沢周平氏を始め、入学式の時に一緒だった横綱柏戸など多くの人材にしばしの間、思いをはせた。
 “海坂藩”原風景をたどる旅は、10月封切りになる黒土三男監督の映画「蝉しぐれ」のロケ地とオープンセット(羽黒町)を見たあと、藩校致道館、大督寺(「義民が駆ける」)、酒井家墓所、鍛治町口木戸跡、総穏寺(「又蔵の火」)、柳の曲がり・鴨の曲がり(「蝉しぐれ」)、旧鶴岡印刷跡(藤沢周平の勤務先)、三雪橋・五間川(「蝉しぐれ」)、丙申堂(映画「蝉しぐれ」ロケ地)、鶴ヶ岡城址の鶴岡公園・大手通・大手門・石垣・外堀をめぐり七つ蔵(「たそがれ清兵衛」)、御馬見所(「たゞ一撃」)、致道博物館(ご隠殿・ご用屋敷)、最後に藤沢周平生誕の地(旧黄金村高坂)をまわって湯田川温泉の宿に入った。好天に恵まれ月山・羽黒山・鳥海山・金峰山は田植えが終わり、いちめん青い田んぼの風景にくっきりと浮かぶ。最上川・赤川・青龍寺川・内川を眺め、砂丘を越えて日本海へと作家藤沢周平を育んだ庄内の風土を全国の同級生に紹介することが出来た。
 宿では、海坂の食‘孟宗汁’‘口細カレイ’‘ごま豆腐’などを味わいながら、藤沢周平の教え子の女将からじかにエピソードを聞いた。翌日は“海坂藩”を財政支援した日本一の大地主“本間様”ゆかりの酒田を見物し解散したが一行は満足至極の面持ちでそれぞれ帰途についた。
 2泊3日の旅は山形新幹線新庄駅に集合、初日はわが国で最初に情報公開条例を制定して“小さな町の大きな試み”として話題になり、街並み景観づくりを進めている山林の町・金山町を見物して宿泊。2日目は「奥の細道」の松尾芭蕉のコース最上川を下り、藤沢周平作品の原風景・庄内平野に出て、作家中野孝次をして「描き出された市井の無名の人に美しい日本の原像を見る」と言わしめ、「藤沢文学は、広くビジネスマンに愛読者が多い。それは『日本の会社は江戸時代の藩、サラリーマンは名誉・地位・誇りのために働く武士』といわれる組織の中で、読者が作品の登場人物にわが身を重ね、人生の哀感をひしひしと感じられるから」(経営評論家 江坂 彰)という藤沢周平の世界を楽しんだ。
 旅では“食”も楽しみの大きな要素。初日の昼食は空き分校校舎を地元婦人会が蕎麦屋にしている金山町“谷口がっこそば”。ここでは、退職後に趣味が高じて“ソバリエ”となった同級生が自慢の手打ちそばを披露。2日目は百間濠跡の水上レストラン(鶴岡)、3日目は海鮮市場(酒田)、いずれも大好評だった。
 まもなく封切りになる映画「蝉しぐれ」-みちのくの小藩の、のどかな夏の朝。川べりで、少年藩士が蛇に噛まれた娘を救う場面から、この物語は始まる。(プレジデント 1997年3月)。20年ぶりの一度限りの再会のときにお福が文四郎にいう科白、「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 どのくらいの時がたったのだろう。お福さまがそっと助左衛門の身体を押しのけた。助左衛門に背を向けると、お福さまはしばらく声をしのんで泣いたが、やがて顔を上げて振り向いた時には微笑していた。「ありがとう文四郎さん」とお福さまは湿った声で言った。「これで、思い残すことはありません」
 「蝉しぐれ」の上映を、今回一緒に旅したメンバーは四国・九州・関西・関東・仙台各地で“海坂藩”を思い起こしながら待ち望んでいる。
2005年6月26日