「平戸焼恋情」 〜 無垢の白磁は語り 薫青は舞う 〜

64回(昭和32年卒) 庄司英樹
 
 「平戸焼恋情」 〜 無垢の白磁は語り 薫青は舞う 〜
 4年間キャンパスをともにした静岡県伊東市に住む松浦尚美(たかよし)さんから著書「平戸焼恋情」(創樹社美術出版)を恵贈にあずかりました。美術大型本の副題は〜無垢の白磁は語り 菫青は舞う〜「本書を亡き妻 登代子に捧ぐ」 とあります。「平戸焼き」の歴史を伝える貴重な「長崎日蘭貿易絵巻」の表紙に始まり239ページの締めくくりは卒業時に後輩からもらったアルバムの「寄せ書きにあるメッセージ」です。淋しさの かくも大きく悲しみの かくも深きは君為せる 真情(まごころ)溢るるいたわりと     胸打つ 励ましの     多かりし ことか                一下級生。 

 この一文を書いたのは弓道部の3年後輩、卒業後に結ばれて、趣味の平戸焼きを求める人生をともにしました。そして20年前に逝った彼女のこのメッセージが「今を生きる自分の心境であり、心の支えになっている」と記しています。
 執筆を思い立った動機について、「俺という人間がこの地球上に存在した記録を残したい」と漠然とした「証」の話をした。当時50歳代の愛妻は「あ〜らそうなの。私はね、あなたと一緒にいるこの瞬間、瞬間が生きている証なのよ!」天命を悟っていたのか、なんの照れもなく真面目な顔で重く深い意味のこのセリフ‥‥胸に沁み入った。国立国会図書館に納本すると未来永劫に保存される。ならば、このメッセージを最後のページに載せて後世に伝えようと自費出版を思い立ったとしています。

 弓道部時代は東京都学生弓道部連盟の委員長として活躍し、30数年の勤めを終えて、今はすっかり平戸焼の美術の世界に浸っています。家系は北陸の小藩の剣道指南番、父親は日本画家。コレクションは全国に"美を求めた狩人"松浦夫妻の獲物です。
 平戸焼は旧肥前平戸藩の御用窯であり、秀吉の朝鮮出兵に従った大名たちが日本に連れ帰った彼の地の陶工によって興され、寛文8年(1650)には三川内御細工所を設立、「繊細」「優美」「精緻」という美の要素を研究確立し続けました。(平戸焼と入力して検索し画像にアクセス)登代子夫人に先立たれた後、伊豆高原の別荘地に転居してコレクションを展示する庵は、彼女の戒名「妙登(みょうと)」に「夫婦(めおと)」と語呂合わせをして肥前平戸焼美術館「妙登美術庵」と名づけました。表紙を開くと墨痕鮮やかな 「贈呈 松浦尚美」の字体と夫妻で収集した89点の入手の経緯を盛り込んだ解説・コメントには作品への濃密な思いが綴られています。

 弓道部では「品性とそれにふさわしい義務」の精神を叩きこまれたそうです。
 そこで「弓道」について調べたところ「敵のいない武道」であり、眼前に敵を持たず、遠方の的は「自分自身」であり、放つ矢もまた「自分自身」であることを知りました。その精神性は「無心となれば矢、自ずと的を射る」
 張りつめた静寂の世界の心境になければ、このような解説・コメントは生まれません。武道に優れた人々にこそ文才が具わる「文武両道」という道があることを改めて教えられました。

 御茶ノ水女子大学名誉教授の藤原正彦が10数年にわたり続けた読書ゼミをまとめた「名著講義」(文藝春秋)に出会いました。
 ゼミの第一回は新渡戸稲造「武士道」
 藤原は、安土桃山時代までの武士道は「弓矢とる身の習い」であったが、徳川期に入ると忠義の上に人倫をおき、武士道は「品性を建つるにあり」とエリートたるものの道徳に変わったと語っています。政界や財界の主要な地位にある人が不祥事を起こした際に、メディアに登場するフランス語の格言『ノブレス・オブリージュ』つまり「社会的地位の高い者はそれにふさわしい義務を負う精神」は武士道にありと述べています。

 話はわき道に逸れますがこの「名著講義」の第8回で無着成恭編「やまびこ学校」(岩波文庫)をとりあげていました。昭和23年(1948)から3年間山形県山元村(現上山市)の中学生34人が書いた生活記録、当時はベストセラーになりました。
 八木プロダクションと日本教職員組合の製作、監督は今井正で映画化されました。無着先生の役は木村功でした。旧西郷中学校の生徒だった私は映画教室で庄内電鉄の善宝寺駅から電車に乗り、鶴岡の映画館で鑑賞し感動しました。山大卒の新任の先生が山形から転校してきた生徒に「八文字屋書店の場面も出てきたなあ」と懐かしそうに話していたのを記憶しています。
 放送会社に入社した私は、いつか「やまびこ学校」を追跡したいと考えていました。NTV系列の「NNNドキュメント」の制作担当になった時に40年後の姿を「山びこ学校 光と影」として取材し全国放映しました。
 無着成恭は村を離れ、地元で農業を営む教え子の佐藤藤三郎らとの交流は途絶えました。村の貧乏を全国にさらしたとか、文集の印税は教え子に渡すべきなのに独り占めした等々の声。
 一方、地元を離れて就職した教え子たちは、「無着先生を囲む集い」を首都圏で毎年のように開き強い絆で結ばれていました。会社の経営者になった教え子の一人は山元中学校の新入生全員に文庫本「やまびこ学校」のプレゼントを継続していました。
 映画の一コマを番組に使用するため今井正監督にお会いし使用許諾を得ました。地元入りをして映画化した作品だっただけに、今井監督も教師と教え子のその後の関係をとても気にかけていました。山元中学校は過疎化で平成21年3月に閉校になりました。
 「やまびこ学校」が話題になった敗戦後の混乱期に、ベストセラーになった池田潔著「自由と規律 ―イギリスの学校生活―」(岩波新書)は、人が生きてゆくには何を大切にしなければならないか「ノブレス・オブリージュ」の精神を伝える古典的名著として今日に至るまでロングセラーになっています。
 藤原正彦のゼミで学生の一人は「本来の教育とは、無着先生が教えたように自分自身の脳味噌を使い、目の前の問題に対峙していく力を養い、対症療法に終始するのではなく、抜本的解決を探る態度こそが大切と思う」と考えを述べています。
 また藤原は「教育の原点を見直すのに『やまびこ学校』ほど適した本はない。本を読み文章を書き議論をして、物事の考え方を会得させるというのは、小中高大を通じて最も大切な教育方法と思います。この『名著講義』も『大学生版やまびこ学校』といえるかもしれません」と結んでいます。
 また藤原は「三鷹市に仕事場を持っていた時に掃除のおばあさんがいました。出身地は山形県山元村だという。さらに聞いたら、そのおばあさんのお姉さんが、本に何度も出てくる佐藤藤三郎と結婚したというのでびっくりした」と語っています。私は佐藤藤三郎宅で、彼が私に声を荒げた時、とりなしたのが、このお姉さんでした。私にとってもびっくりのエピソードでした。
 話を本題に戻しましょう。
 クラスメイトで同じ静岡県内に住む舩戸捷壽さんが「発刊を祝って」の中で、彼は常日頃から「美は善なり」その生き様は宝塚の「清く正しく美しく」根底に流れる基本理念は「一に感性、二に本能、三に愛が基調」と意味不明の言葉を吐いて皆を笑わせていた。独り身になって母上の晩年百歳になるまで看病介護を一人でこなした。このような友をもつことに誇りを感じると語っています。

 「骨董の業界では、このような本は一年間に40部〜50部売れれば成功といわれている。僕の本は5ヶ月で60部売れたからベストセラーの部類」と松浦さんは笑っていました。発行部数の半数以上は在庫になっているが、知人・友人に進呈して得たものは「物凄い喜び、人生の素晴らしさ」だったそうです。
 「愛妻への思慕と永遠の恋情」この恋情こそが、限りある身の限りなき我が生命の糧であり、果てしなき夢と創造を追う根源とした松浦さん、二度と会えない人への愛惜の念とコレクションに去来する甘美な匂いは、作家新田次郎の絶筆を息子の藤原正彦が書き継いだ「孤愁」(文藝春秋)の背景に流れる感情サウダーデ(孤愁)に通底するものを覚えました。確たる人生設計を立てず、趣味も持たず、時の経るままに暮らしをしてきた私には手遅れですが、このような「証」の術もあることを紹介したいと小文を綴ってみました。
 国立国会図書館法の「納本制度」では、「すべての出版物は発行から30日以内に納本しなければならない。納本するのは、著者ではなく出版社の役割。納めなかった場合に小売価格の5倍に相当する金額以下の過料に処せられる罰則」がありますが、現在までこの罰則が適用された例はないそうです。
2016年3月01日