「80年前の新聞記事から」

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●80年前の新聞記事から
 什器の入った箱の底から黄色に変色した「日刊 山形」大正14年3月8日付新聞が出てきた。紙面片すみに「推参なり風来坊 学校で軍国ダンス」-踊る跳ねる滑稽な身振りに 先生方お臍の宙返りーの見出しの記事に今さらながら最近の殺伐な気風に恐ろしさ覚えた。
80年前の記事はー。
 珍しくしとしとと雨霰降る4日午(ひる)頃鶴岡市朝暘第一小学校の職員室にヤーコリャコリヤという調子で一人の風来坊がひょっこり現れた。
 見れば50余りの愛嬌たっぷりな好々爺で昼日中何所で飲んできたものか酔歩跚跚(さんさん)千鳥の足どりも宜しく、それに一升徳利を後生大事と抱へあっちにふらり是っちにふらりの恰好といったら、湯田川街道に御座るマッカ仙人其の儘は兎にも角にも無難にであったが、燃え立つストーブの熱に浮かされて踊るは跳ねるは手付き足つきも滑稽に爺さんの発明だという妙竹林(みょうちくりん)の滑稽軍国ダンスに砲丸踊り、それに優しい所を一つと呂律(ろれつ)も廻らぬ舌で春雨や今流行のスットンスットンと来たので、折から大きい口を小さくして食事をとっていた多数の女教員や20余名の養成所教生等は、お臍の宿を宙返りさして七転八倒の苦しみ。為に謹厳其の物のような教員室も一時は何事か起きたと思わせる大騒ぎを演じさして「又来るよ」と出て行った。
 その人時々傑作を出すので鶴岡名物男の一人に数えられる酒井伯の菩提寺大督寺前に閑居している相良爺さんによく似た人であった。
 80年前の記事を前にして、「防犯のために校門閉鎖」、「不審者侵入時にはいち早く警察に通報」、「登下校時には保護者の送り迎え」など最近の学校をめぐる状況の変化には嘆息するしかない。いや80年前でなくとも今回第29回日本アカデミー賞で12部門を制した映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は昭和33年を再現した作品。60年安保で騒然としたあの当時だって、穏やかな気風に満ちていたと映画を観て実感させられた。
2006年3月6日