山形鶴翔同窓会発足の頃からを振り返って

    
64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
山形鶴翔同窓会発足の頃からを振り返って
《はじめに》
 去る9月7日開催の「第34回山形鶴翔同窓会総会・懇親会」は、滝川義朗鶴翔同窓会副会長(昭和51年卒)、京谷伸一校長、小野寺 建城畔会山形支部副会長の3名を来賓に迎え、昨年度よりも6名増の79名の参加を数えました。総会は、本年度実行委員の鈴木悟さん(昭和47年卒)の司会のもと、当該年実行委員を代表しての北林久樹さん(昭和47年卒)の開会の言葉に続いて櫻田庸子さん(昭和45年卒)のエレクトーン伴奏による校歌の斉唱と続き、以降は予定された次第通り進行して無事終了しました。引き続いての懇親会は本年度実行委員の加藤 滋さん(昭和48年卒)の司会、同じく秋場美晴さん(昭和48年卒)の開会の挨拶に続いて、来賓の紹介と挨拶が、特に京谷伸一校長からは母校の近況を絡めて講話をいただき、加賀山隆士顧問(昭和34年卒)の発声で乾杯を行いスタートし、盛会裏のうちに終えることができました。これも偏に池田 惇会長(昭和39年卒)以下役員並びに当該年度実行委員各位のご努力と敬意を表する次第です。
 今回の会長の挨拶にもありましたが、来年は35回の記念すべき年に当たります。人生でいうと「珊瑚婚式」に相当するもので、「珊瑚婚式」は35年かけて築いた夫婦の絆を、長い年月を経て成長する「珊瑚」にたとえたものです。そこで手元にある資料を紐解きながら、記憶を呼び起こしながら当該同窓会設立当時から今日までを私なりに概観してみたいと思います。
《同窓会設立に尽力した人々》
 当会設立のための企画は、現顧問の加賀山隆士さんが、昭和57年の夏ごろ、新聞紙上で「(社)米沢有為会」(注1)の記事を読んで思い立ち、同期の渡部政紀さんと一緒に荘内銀行常務取締役山形営業部長の要職にあった佐藤新一さん(昭和16年卒)を訪ねたのが、当該同窓会設立の発端と聞き及んでいます。そして、加賀山さんたちは、佐藤さんから助言を得て事務局を現在の「荘内銀行山形営業部」内に置き、会の名称を「山形鶴翔会」とし、初代会長には工藤鉄太郎さん(大正14年卒)に就任の快諾を得たそうです。なお、添付した写真の設立総会時の資料の表紙には「山形鶴翔同窓会(仮称)」となっておりますが、本会は「山形鶴翔会」としてスタートすることになったもので、平成15年11月8日、パレスグランデールにおいて開催された第21回総会において会則の一部改訂を行い、現在の名称である「山形鶴翔同窓会」に名称変更されたものであります。
 その後、具体的な設立準備にかかるわけですが、前述の佐藤さん、渡部さんに加えて、渡部勝美さん(昭和10年卒)、若木健二さん(定時制昭和18年卒)、佐竹規成さん(昭和26年卒)、同じく齋藤哲夫さん、安藤 昭さん(昭和33年卒)、佐藤邦彦さん(昭和34年卒)、同じく忠鉢 元さん、同じく伊藤健司さんやその他大勢の同窓生各位の尽力があって、いよいよ「設立総会」を、昭和58年11月8日(火)、午後6時より、山形グランドホテル2階「サンリヴァホール」で、来賓として酒井忠明同窓会長(昭和10年卒)、佐藤義三郎同窓会事務局長(大正14年卒)、山形在住の永田良雄、堀口昌太の両元校長、佐藤善一現校長を招き、村山地方在住の校友多数の参加を得て盛大に開催されたのです。生みの苦しみといいますが、設立時には多くの折衝ごとや雑務があります。仕事の間を縫って尽力された諸氏各位にたいして重ねて敬意を表するものであります。
(注1)「社団法人米沢有為会」について(「社団法人米沢有為会」のホームページより)
 当会は米沢出身の伊東忠太、村井三雄造、内村達次郎、鳥山寿次郎、長谷部源次郎、宮島幹之助の若き在京学生が、明治22年11月23日に本郷の合宿所に集い、幅広い郷土関係者の団体をつくり、郷土愛を土台に相互の親睦と切磋琢磨を目的として共存共栄を図ろうとして発足したものであり、会の名称を国家有為の人材を育てる会「有為会」と定め、翌23年1月に新会員募集、4月飛鳥山で大運動会、8月には郷里米沢中学校(現在の県立米沢興譲館高校)で発起人会、役員会を兼ねた大親睦会を催すなどしてその存在を示し、発足僅か1年にして全国で会員総数429人となった。現在、本会が目指している方向は、会員の親睦を基として郷土出身者の育英と郷土産業の振興であるが、設立当初の主目的は育英事業ではなく、郷土諸氏とともに、学術・思想の道を長短相補って進んでいこうというものであった。事実、寄宿舎を建てたり、学資の貸与制度を設けたりの育英事業を行うようになったのは、20年後のそれぞれ明治42年、44年のことである。爾来、幾多の変遷を経て、平成21年には創立120周年を迎え今日に至っている。
《設立総会・懇親会》
 設立総会時の資料は、今日のようにワープロやパソコン機器の普及も一般的ではなく、資料の表紙、懇親会次第等は活版印刷ですが、会則(案)、参加者名簿などはすべて手書きとなっています。
 設立総会は上記の渡部政紀さんが司会を担当し、承認された役員は資料により次の通りとなっておりますが、この名簿を見て感じることは、昭和34年卒業組が当該同窓会設立にいかに努力したかがわかること、また、卒業生の職業分布などを考慮してか、山形県庁・山形県警察、荘内銀行、山形銀行、山形相互銀行、山形新聞・山形放送、山形県信用農業協同組合連合会、一般企業経営者、主婦層から満遍なく役員などの選出があって、以降の連絡や会合などへの出席要請に十分対応できるようになっていることです。
役 職 名 氏              名
会 長 工藤鉄太郎(大正14卒)
副会長 渡部 勝美(昭和10)・佐藤 新一(昭和16)・若木 健二(定・昭和18)
監 事 長南 正精(昭和8)・佐竹規成(昭和26)
幹 事 草刈 次郎(昭和 9)・富塚 陽一(昭和25)・佐藤 昭子(昭和26)・
大野 竹子(昭和27)・新館 汎子(昭和27)・宮野  嵩(昭和29)・
安藤  昭(昭和33)・伊藤 健司(昭和34)・忠鉢  元(昭和34)
事務局 佐藤 邦彦(昭和34)・渡部 政紀(昭和34)・尾形 隆夫(昭和35)・
渡部 良明(事務局長、昭和35)
 次に「懇親会」ですが、これも当時の資料によると、司会が当時山形相互銀行勤務の安藤 昭さん(昭和33年卒)で、来賓挨拶が酒井忠明鶴翔同窓会長と佐藤善一校長の2名、乾杯の音頭が佐藤義三郎鶴翔同窓会事務局長、万歳三唱が堀口昌太元校長となっています。
 当日の参加者は名簿から116名で、最年長の方は昭和3年卒業の石川憲保さん、最年少者は昭和54年卒業の佐藤幸悦さんでした。 なお、会長に就任された工藤鉄太郎さんが設立総会を寿ぎ次の寿歌を詠まれて披露されていますので紹介しておきます。
祝 やまがた鶴翔同窓会創立
    "千羽鶴 大空に夢を 画きつゝ 翼連ねて 今発(た)たんとす"
                              昭和58年11月8日  工藤鉄太郎。
《設立総会・懇親会の様子を伝える新聞記事》
 当夜の様子を山形新聞が昭和58年11月10日付けの紙上で「多くの同窓生が集まった山形鶴翔同窓会の設立総会」の見出しで、懇親会風景写真を貼付して次のように報じています。
鶴南高の山形同窓会が発足 鶴南高の山形鶴翔同窓会の設立総会が8日夜、山形グランドホテル・サンリヴァホールで開かれた。
 同校は明治21年に創立され、95周年を迎える。鶴翔同窓会(酒井忠明会長)は会員2万4千人。地区ごとに支部があるが、山形市周辺には支部のような組織がなかった。このため、山形市を中心に上山、寒河江、天童市在住の同窓生が集まって山形鶴南高の山形同窓会を設立することになった。会員は350人。
 設立総会には、120人が出席して会則制定、役員選出をした。引き続いて懇親会に入り、酒井会長の来賓挨拶、校歌斉唱の後、参加者たちは学校時代の思い出話に花を咲かせた。役員は次の通り。▽会長=工藤鉄太郎▽副会長=渡部 勝美・佐藤 新一・若木 健二
《その後の同窓会活動》
 以上のような経緯を踏まえて発足した当同窓会は、以後毎年総会・懇親会を開催してきましたが、第2回総会時には、特別講演として、鶴岡市出身の大相撲立行司25代式守伊之助さん(本名:後藤 悟、旧姓:赤松)を招き、「大相撲よもやま」と題する講演がありました。この時は確か一般市民の聴講もあったので会場のサンリヴァホールが満席になった記憶があります。そのほか思い起こしてみると、第15回の総会時には、母校の文化及び運動部に対し寄附をすることとなり、使途は学校側に一任したと、ころ、音楽部と水泳部に配分となり、後日後輩諸兄から感謝されたこともありました。第20回総会では日向康吉東北大学名誉教授(昭和27年卒、平成14年度日本学士院賞、平成15年度藤島町名誉町民)の「名の花からのたより」や第25回総会では、本同窓会設立25周年記念講演として、小野寺 凡元宮城学院女子大学教授(昭和35年卒)による「時代の子 高山樗牛」、開催総会の年次を失念してしまいましたが、松田静子さん(昭和34年卒)による「藤沢周平と海坂藩」、致道博物館長の酒井忠久さん(昭和40年卒)の「致道博物館」といった講演が総会に先立って開催され、また、これまたいつの総会の時か忘れてしまいましたが原田克弘山形県副知事による「東北公益文科大学設置の理念と構想について」(注2)の講話などもあったと記憶しています。第21回総会では「ホームページ」の立ち上げが決まりました。当時はまだホームページへの認識が深まっていなかったこともあって、役員会では危惧する意見もあったようですが、当時の会長佐竹規成さんからの指示を受け、大山駿次さん(昭和34年卒)が現在のスタイルである"会員共通の話題を提供する場としてのホームページ"の試案を提示し、これを佐竹会長が役員会で了として総会に提案して決定した経緯があり、爾来、大山さんの献身的な奉仕によりその管理運営が継続されています。第27回総会においては、庄司英樹会長(昭和32年卒)が総会挨拶で触れた「在山形の三校合同芋煮会」(前年度の役員会において佐藤新一顧問が提唱されたもの。)が、平成21年10月14日に唐松観音前の広場で開催されました。如松同窓会の方々は支部創立60年の先約の計画があって参加が叶いませんでしたが、快晴の澄み切った空の下、初の試みとして、鶴翔同窓会、鶴工城畔同窓会の有志17名の参加を見て、酒を酌み交わしながら童心に戻っての交流が深められました。第30回総会では、30周年記念ということで、鶴翔同窓会長の石黒慶一さん(昭和35年卒)の「東日本大震災を考える」と題する記念講演がありました。また、この年は、関西同窓会会長の本間 隆さん(昭和30年卒)が来賓として参加されております。第31回総会においては、齋藤知行事務局長(昭和37年卒)を中心に規約の大整理が行われ、この素案が承認され現在に至っています。この規約改正以降、当会に参加を希望されていた新潟市在住の青柳明子さん(昭和43年卒)が「特別会員」として参画することとなり、以後本同窓会のホームページに投稿するとともに遠路はるばる毎回新潟市から総会に参加されているところです。また、本会の底辺の拡大、永続性を考慮して、平川秀紀さん(昭和43年卒)の提唱により本会初の試みとして山形大学に在学中の同窓生にも声掛けしたところ第32回に3名、翌年には2名の参加を見たのですが、それぞれ壇上に紹介され、自己紹介と抱負を述べてもらい喝采を浴びたところです。
 残念ながら既に鬼籍に入られた方々もいらっしゃいますが、ここで歴代会長を勤められた方々の名前を掲げておきます(敬称は略させていただきます。)。
回 数 氏   名 卒業年 就任期間 回 数 氏   名 卒業年 就任期間
初 代 工藤 鉄太郎 大正14 1〜9 4 代 庄司 英樹 昭和32 24〜27
2 代 佐藤 新一 昭和16 10〜17 5 代 加賀山隆士 昭和34 28〜31
3 代 佐竹 規成 昭和26 18〜23 6 代 池田  惇 昭和39 32〜
(注2) 「東北公益文科大学」、「公益・公益学」について
 「東北公益文科大学」は、平成13年に日本では唯一の公益学の教育・研究を行う公益学部公益学科を有する大学として酒田市飯盛山に設置された。山形県と庄内14市町村(酒田市、鶴岡市、遊佐町、八幡町、平田町、松山町、余目町、立川町、藤島町、三川町、羽黒町、櫛引町、温海町、朝日村)がその設置費用を負担し、学校法人東北公益文科大学が運営にあたるものである。設置時より「慶應義塾大学」の支援・提携関係があり、公私協力方式での運営を行っている。すなわち、平成13年4月に慶應義塾大学が山形県及び庄内地域市町村との連携のもと鶴岡市に「慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス(TTCK)」を設置したが、「鶴岡タウンキャンパス」には、「百阮x」を現代的に復元させるなど「鶴岡公園」と一体的に鶴岡市が公園整備を行い、「慶應義塾大学先端生命科学研究所」のほかに、平成17年設置の「東北公益文科大学大学院」、また、鶴岡市と慶應義塾大学と東北公益文科大学の三社で共同管理運営する「致道ライブラリー」がある。「致道ライブラリー」は一般にも開放され、生命科学を中心にした自然科学系の資料、公益学に関する人文・社会科学系の資料を所蔵する。このようにして東北公益文科大学大学院は、慶應義塾大学先端生命科学研究所との密接な連携を図り、共同研究を行っている。
 「公益」の本質は、自分のため(私益)、自分たちのため(共益)ではなく、その活動を必要としている社会全般の利益、更にはその事柄(自然や文化や歴史など)のために行う活動のことであり、「公益学」とは、公益を研究・実践する学問とされている。従って、その研究対象は、政治、経済、行政、財政、経営管理、国際協力、教育、福祉、医療、環境保全など多義にわたる。東北公益文科大学には、現在「地域経営系」として経営コース、政策コース、地域福祉コース、「交流文科系」として国際教養コース、観光・まちづくりコースの2系5コースがある。
《第35回総会の企画について》
 前述のとおり、第35回総会は記念すべき総会であり、会長以下役員諸兄並びに実行委員会の諸兄におかれましては、より充実した会合となるよう、また、より多くの会員が参集されるようその企画についてはこれから種々討議されることと思いますが、以下に私が思いついたことを2,3述べさせていただきます。
 第1に過去の総会時に行われていた「記念講演会」が開催できないか、この場合、講師は同窓の方あるいは郷里の方にお願いするのが勿論いいのですが、場合によっては、郷里を愛し、郷里のことを深く知る異郷の方を人選しても面白いのではないかと思うのです。第2に会員の寄稿による「記念会報」を作成することはできないか、第3に同窓生の心の拠り所になるシンボルとして総会時に演壇に飾る母校の校章入り「同窓会旗」の作成は考えられないか、これは程度によって経費が嵩むと思われるので、この場合には基金創設が必要かと思われます。いずれも手間、時間、経費を要する話で誠に恐縮ですが俎上に載せ検討していただければと思う次第です。
《おわりに》
 この拙稿を纏めるに際しては、手元にある過去の会議資料等を活用しましたが、資料を欠く部分については記憶を頼りに纏めましたので、大事なことが欠落している可能性、あるいは思い違いをしている部分があろうかと思います。従いまして拙稿を笑読頂いた際にお気づきの点があった場合は、どうぞご指摘を頂戴したいと思います。 また、佐竹規成さん、庄司英樹さん、加賀山隆士さんからは多くの助言を頂戴しました。ここに厚く御礼申し上げます。
2016年10月02日