「故菅原信義さんのこと」

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●故菅原信義さんのこと
 口ひげをたくわえ、にこやかな表情を絶やさず山形鶴翔同窓会の総会や懇親会で名司会役ぶりを発揮して会場の雰囲気をいつも盛り上げていた常任幹事の菅原信義さん(72回・ 昭和40年卒(有)リトルハウス代表取締役)が3月13日に急逝された。[遺影は22回総会・懇親会時]
 去年の総会には姿を見せなかったが、元気に活躍と聞いていただけに突然の訃報には驚いた。葬儀の当日は参列できなかったので翌日お宅に伺いこれまでお世話なった感謝の気持ちを霊前に申し上げた。
 ご家族の話によるとリトルハウスは次女の方に引き継ぎ、村山市に設立した日本バイオマス開発株式会社の竣工式を4月6日にひかえて、その準備に追われる日々だったという。当日も来客を山形空港に出迎え、会社で打ち合わせをしていた時に心筋梗塞を起し救急車で病院に搬送されたが息を吹き返すことなく旅立ってしまったとのこと。
 4〜5日前に「なんとなく胸がむかつく。胃薬を飲む」とは言っていたが、元気そのものでご家族は未だに信じられないといった表情。
 祭壇に飾られた遺影のところに愛猫が寂しげな鳴き声をあげながらうずくまっていた。「主人がとても可愛がっていたミミです。主人に何かが起こったことを察知しているようです」
 60歳はまだまだ働き盛り。医者嫌いで健康診断・人間ドックはことごとく避けていたとか。もし受診していたら何らかの予兆を発見することが出来たのではないかと悔やまれる。
 店を山形芸工大近くに構えていた時は沿道を「青春通り」と命名して商店街の活性化に情熱を傾けていた。ここ2〜3年は役員会などでお会いすると「果樹地帯の農家では剪定枝や間伐材の処理に苦労している。これらをチップ化して燃料にし、発電する会社を立ち上げる。設立認可のめんどうな手続きは県庁にいる同窓会の会員に教えてもらうなど助かります。山形県の産業に大きく貢献する会社です」と熱っぽく語ることが多かった。その会社の竣工を目前にした急逝は、ご家族はもちろん本人にとっても無念極まりなかったに違いない。
 「家内は鶴南の同級生です」と総会・懇親会には寒河江市から車で駆けつけ、酒は口にせずユーモアを交えながら歯切れよい口調で司会をいつも喜んで引き受けて下さった。
 今となっては山形鶴翔同窓会として菅原信義さんのご冥福を祈るばかりである。

2006年3月28日