徳富 蘇峰翁揮毫「敬天愛人」の顛末記。

66回(昭和34年卒) 加賀山隆士
 
 昭和30年当時を知る先生に当たりを付け、大澤常雄先生に電話をしたところご子息の繁雄氏が佐藤 夛市第25代校長が知って居るのではとの情報を頂き、電話を差し上げた結果、平成6年発行の南校生徒会会誌「鳳嶺」第29号の巻頭言「敬天愛人」に次なる文章を見ることが出来ました。
 鶴南、鶴北が鶴岡高校として統合され、再び鶴南、鶴北に分離された折り、蘇峰氏に心酔されて居った地元の篤志家成沢 今蔵氏(大正10年第29回)が両校の発展を祈念し、当時92歳の徳富蘇峰氏に揮毫を依頼し、両校に寄贈したものと判明致しました。
 因みに鶴岡北高校の校長室には聖徳太子の言葉である「以和為貴」の扁額がある筈です。
「敬天愛人」は西郷隆盛の言葉として知られ、戊辰戦争のあと藩主以下西郷の人物と徳を慕うようになり、何度となく薩摩の西郷の許に赴き、薫陶を受けて後日編集、出版されたのがかの有名な「南洲翁遺訓」です。
 西郷隆盛の言葉と徳富蘇峰翁の扁額が母校に伝わることは大先輩の母校に対する並々ならぬ期待が垣間見えて、母校愛に燃える人たちの期待に後輩たちも応えて欲しいものです。
2017年05月06日