「同窓の哲学者 今道友信先生を語り継ぐ」

64回(昭和32年卒) 庄司英樹
 
 「同窓の哲学者 今道友信先生を語り継ぐ」
 「今道友信先生の研究業績を語り継ぐ『今道友信記念文庫』を立ち上げました」こう伝えてくれたのは、森永エンゼル財団で長年、今道氏と一緒にライフ・ワークのグレート・ブックス・セミナーのインターネット・コンテンツの開発とテキスト作り、セミナー事業に取り組んでいる松田義幸氏(昭和33年65回卒)。

 今道友信(1922―2012)は東京生まれ。哲学者。東京大学名誉教授。聖トマス大学名誉教授。哲学美学比較研究国際センター所長。鶴翔同窓会会員名簿、昭和15年卒に在籍者とあり、父親の転勤で卒業せずに転校している。

 私がこの人の名前を知ったのは、2005年1月9日に投稿のHPに書いたが、NHKラジオ深夜便「心の時代」の放送。「父親の転勤で鶴岡中学に転入した。言葉がさっぱりわからず苦労した。わたしとか君というと殴られた。オレ・オメと言ってようやく仲間に入れてもらった。卒業前にまた転校して在籍した期間は短かったが、この同級生とはいまも交流が続いている」などと当時のことを懐かしげに語っていた話。
 今道友信の著書「出会いの輝き」(発行所 女子パウロ会)を買い求めた。まえがきは「人生において、巡り会いとか、出会いと言われるものほど不思議なものはありません」の書き出しで始まる。
 「北国での出会い」では、そこはほんとうに田舎町でしたが、すばらしい人を出しているのです。高山樗牛、あの明治時代の第一級の論客が、このみすぼらしい木造校舎の中学がたった一つしかない町から出ています。天才少女と言われたヴァイオリニストの諏訪根自子がここから出ているという話も聞き、少年ながら、詩と音楽を愛していた私には、父がこの田舎町の支店長として赴任したことは、それこそ神の恵みのように思われました。
 やがて、中学校の弁論大会に一年乙組の代表に選ばれ、私は樗牛の言葉を引いて「いそしむことの尊さ」について話しました。主旨は樗牛の「平家雑感」を引いての一つの幼い文明批評でした。「大砲は一瞬で文化といういそしみ─勤労の結果を破壊しますが、文化の建設には長年の尊い知的努力が必要であります。いそしむことの有効性より、その尊さを考えるべきだと存じます」というのでしたが、入賞して獅子の吼えている浮き彫りのあるメダルをいただきました。
 ところが、最後に教員を代表して芳賀という先生が講演されたのですが、樗牛の言葉を引かれ「彼は『吾人すべからく現代を超越すべし』と書いているが、私はあえて言う。我々はすべからく樗牛を超越せざるべからず」と言って降壇されました。この話の内容は、一年生の私にわかるはずもなかったのですが、この最後の言葉だけは、今に至っても忘れることが出来ないのです。月日が立つにつれて私は、樗牛が非キリスト教的な文化至上主義の典型のように思われ、そこから日本主義に堕ちていくようにも見え、それを超越しなければ現代の課題は果たされないと思ったのです。
 文化から逃げ出したり、文化を恐れたり、文化を軽蔑する宗教ではなく、文化を包含してこれを超越する宗教こそ、現代の課題でなければならないという、あの日から数えれば二十年あとに描いた私の宗教哲学の論文の結論でしたが、その遠い源は、月山や鳥海山がのぞまれるあのぼろぼろの木造校舎で、震えるような感動とともに聞いた、芳賀先生がくださった刺激だったのではないかと思います。その芳賀先生こそ、のちに東京文理科大学(筑波大学の前身)の教授におなりの芳賀幸四郎先生です。鶴岡のような田舎の中学に入らなければ、果たして樗牛をはじめとする日本の近代文化の精神を超克すべき対象と見るような、挑戦的な姿勢を学び得たかどうかわかりません。
 今道友信は「出会いの輝き」で鶴岡中学校での出来事、鶴岡に転校してきたことが哲学者の道を歩むことになった動機だったことを述べています。

 英語学者で保守派の論客、上智大学名誉教授の渡部昇一氏(昭和23年55回卒)が4月に逝去されました。総力特集「知の巨人」渡部昇一に学ぶと題した増刊号がいま、発売されています。2年前に出版614ページの大冊「渡部昇一 青春の読書」(ワック株式会社)、帯のキャッチコピーは“知の力 書斎への誘い 本と共にあった青春時代を生き生きと描く青春偏愛録”とあります。
 第三章「鶴岡第一高等学校時代」では母校自慢になるが、中学で一緒だった伊藤吉之助、阿部次郎、宮本和吉の三哲学者が、戦前九つあった帝国大学のうち、三つの大学の哲学科を背負っていた。東大の伊藤、東北大の阿部、京城(ソウル)大学の宮本である。当時の庄内の気風がわかる気がする─と記しています。続いて、弟子の“涕泣事件”として次のようなエピソードを紹介しています。
 「今道さんは文科系の学生が学徒出陣していた頃、東大が学問の伝統を絶やさないようにするため、勤労奉仕にも行かず勉強に専念するために学部学生から選抜されたごく少数の学生のうち、哲学系の学科からただ一人選ばれた人である。  伊藤吉之助の、ヘーゲルの「歴史哲学緒論」の演習を敗戦の年に一人で受けていた。そして伊藤の癇癪爆発を一人で受けて、教室で涙を流して泣いていたという。今道さんのこの涕泣事件が、伊藤の東大における最終の授業だった。

 さて、松田義幸氏は尚美学園の理事長、学長を退き、顧問となってから、これまで先送りしてきたプロジェクトのまとめの仕事に取り組み、森永エンゼル財団と創文社の協力を得て「世界遺産への道標」を出版した。この本は異文化、異文明の相互理解、「心のなかに平和の砦を築く」ユネスコ精神を課題として扱っています。

 「世界遺産への道標」の第二章 「世界遺産のための教養講座」で松田氏は、哲学者今道友信先生は、建学の精神「美しさとは輝きである」を掲げる日本美容専門学校の第四代校長に就任し、わかりやすく解説した美の思索入門書「美について考えるために」(ピナケス出版・2015)を出しています。今道先生の実践美学原論の構想は、とてつもなく大きなものです。21世紀の万人を対象に、この構想実現への参加を呼びかけています。そして今道先生が述べている美の普遍性ついての言葉を紹介しています。
 「美に国境などはありません。国家、宗教、民族、事業の差異を超えて、万人が手を結ぶ可能性があり、かつ万人が自らその実現に何らか主体的に参加しうる営みであり、しかもそれが知覚的に確認しうる成果をもつものです。」
 そして、「私は美の実践による世界美化の実現に向けて、大切なことは『意識革新→風土改新→制度革新』の大きな流れづくりに参加するために、意識革新を揺るぎない信念にすることだと思います。一人ひとりが、自分自身の物の見方、考え方、感受性の『心の習慣』『精神の習慣』の中心に、美の実践と世界美化を位置づけて、古い自分を抜け出し、仕事に当たること、生活することなのだと思います」
 この言葉が「哲学者・今道友信を語り継ぐ」今道友信記念文庫プロジェクトと私は受け止めた次第です。
2017年8月14日