年 号 |
事 項 |
元和8年(1622) |
・酒井忠勝庄内に入部。 |
寛永8年(1621) |
・酒井直次1万2千石左沢藩主35歳で逝去。所領収公。 |
寛永9年(1632) |
・加藤忠幕命により改易、酒井忠勝にお預け。丸岡に一代限りの1万石分与。 |
正保4年(1647) |
・酒井忠勝没。三男忠恒に2万石分与。 |
慶安元年(1648) |
・忠恒の2万石が左沢領1万2千石と飽海・田川郡に合わせて8千石と内定。左沢・領分は確定まで庄内藩領。 |
寛文元年(1661) |
・忠恒の国元屋敷を中山(後の松山)に設置することが認められた。 |
寛文2年(1662) |
・中山村と呼ばれていた旧館の跡地に藩主屋敷とともに家臣屋敷が建設され、分散していた家臣たちが移り住み「中山藩」成立。 |
寛文3年(1663) |
・忠恒の領地2万石が左沢1万2千石と飽海・田川郡に合わせて8千石と確定 |
寛文4年(1664) |
・中山の地名は「松山」と改名(「松山藩」)。 |
安永8年(1779) |
・幕府より松山城築城の許可(3代忠休(ただよし))。5千石の増加と御用金2千両を賜わる。加えて城門には武門の誉とされる鯱を挙げることも許可。 |
天明元年(1781) |
・松山城築城開始。以後7年の歳月をかけて完成。 |
天明8年(1788) |
・松山城落成。 |
寛政2年(1790) |
・大手門落雷により焼失(現存するものは酒田の大豪商本間重利が寛政4(1792)年に寄進したもの)。 |
寛政4年(1792) |
・大手門酒田の豪商本間利重の寄進により再建。 |