時代 |
名 称 |
説 明 |
八 景 |
江戸以前 |
慈恩寺十景詩 |
正応年間(1288〜1292)以後、天文年間(1532〜1555)頃までの間の成立と推定。瀟湘八景の画題に依拠しつつもそれにとらわれない自由な詩題選定が見られる。詩題のもとにそれぞれ七言律詩書きされている。 |
白山暁月(はくさんぎょうげつ)・新山紅葉・清水納涼・桜沢落花・禅定残雪・聞持院晩鐘(もんじいんばんしょう)・陳峯牧(人望牧童)童・雷淵暮雨(かみなりぶちぼう)・醍醐渡船(だいごとしゅう) |
江戸前期 |
米陽(べいよう)八景 |
元禄8(1659)年の作。米沢の佳景8カ所の絵に地名と景物の画題を墨書し、漢詩と和歌を添えて一巻としたもの。米沢の絵師が八景図を描き、当時江戸詰めの秋涛子(しゅうとうし・伝未詳)が和歌を添えた。瀟湘八景を規範としている。 |
白子(しろこ)晩鐘・落合落雁・成島夕照船・船坂帰樵(ふなさかきしょう)・遠山暮雪・堂森秋月・舘山青嵐・宮井夜雨 |
寒河江八景 |
正徳2(1712)の作。漢文の序文の後に、題と和歌が記されている。作者は寒河江の人で班良軒水故子(はんりょうけんすいこし・伝未詳)。 |
沼川霞・平野山残雪・高瀬山早蕨(さわらび)・本楯渡船・落裳野雲雀(おとものひばり)・満徳院晩鐘・長岡山躑躅・総持寺稲荷 |
同 上 |
正徳5(1715)の作。漢文の序文の後に、題と和歌が記されている。作者は寒河江の人で班良軒水故子(はんりょうけんすいこし・伝未詳)。 |
橋本旅館・澄江川根上がり松・日遊山(本願寺)匍松(にちゆうざんはいまつ)・舟橋川放生(ふなはしかわほうじょう)・蓮沼?〈はすぬまあまごい〉・堀江川姥石・万海清水納涼(ばんかいしずんぽうりょう)・石川霧中橋(いしかわむちゅうばし) |
狩川八景 |
享保11(1726)年、見竜寺の万月(ばんげつ)和尚の作で、八景の題のもとに俳句を書いて扁額に仕立て、山居の地蔵堂に奉納した。 |
館山の月・滝沢の夜雨・山居の晩鐘・中棚の帰帆・大釜の落雁・玉坂の暮雪・中山の晴嵐・山崎の夕照 |
江戸後期 |
丹泉(赤湯)八勝 |
寛政11(1799)年、上杉鷹山が赤湯の八勝を撰び、家臣の儒学者に作らせた漢詩を絵に書き添えた画巻。絵は目賀田雲川(めかたうんせん)が描いた。 |
雲夢楼・白竜湖・觚堂(こどう)・洞松寺(東正寺)・駁嶺(はくれい)・鳥路阪(鳥上坂(とりあげざか))・津田(しんでん)・金沢 |
糠野目八景 |
寛政8(1796)年から文化8(1811)年の間に八景歌の画巻をつくったとされ、選定者は、米沢藩士で糠野目御役屋将(ぬかのめおやくやしょう)の千坂宮門高始(ちさかきゅうもんたかとも)。 |
白山暮雪・山王夜雨・下野(しもの)晴嵐・舟蔵(ふなぐら)帰帆・旧寺(きゅうじ)晩鐘・鶴巻落雁・橋場夕照・屋躰(やたい)秋月 |
上山八景 |
江戸後期と思われるが作者など不詳。名所の由来を含めて説明がある。 |
月岡の晴嵐・湯の上の(湯の神の)秋月・矢来の夕照・石崎の夜雨・西光寺の晩鐘・土山の落雁・小泉橋の暮雪・眉川(まゆかわ)の帰帆等なり |