徳富蘇峰翁揮毫「以和為貴」の顛末記

66回(昭和34年卒) 加賀山隆士
 
 7月1日に鶴翔同窓会第130回総会に参加した折り、鶴岡北高校の佐賀井校長にお会いしたので翌日の訪問を約束致しました。
 宝町の酒造家の成沢 今藏氏が息子さんの母校鶴岡南高校、娘さんの母校の鶴岡北高校に思想家の徳富 蘇峰氏92歳に揮毫して貰い両校に寄贈したものでした。
 「以和為貴」の意味の由来は聖徳太子の17条憲法に由来するものと言われております。
 「敬天愛人」と「以和為貴」の両扁額を見ることが出来、目的を達成した一日でした。
 次ぎに庄内藩中老の菅 実秀と西郷 隆盛の徳の交わりについても菅家13代当主菅 秀二氏にルーツを訪ねました。
「戊辰戦争」「松ケ岡開墾」「南洲翁遺訓」「南洲神社」等、庄内にはまだまだ歴史が色濃く残っていますね。
 この度、大阪城を見学したおり、石垣の寄贈者の加藤 忠広(2代目熊本城主)の名前を見つけ、そののち庄内酒井藩預かりの丸岡城主1万石に転封された、歴史の事実を見るにつけ人生の無常を感じた旅行でした。
 菅家のルーツも化け物まつりと関係のある「菅原 道真侯」の末裔で九州がルーツで酒井藩に職を得て、西郷 隆盛侯も同じ匂いを感じ、「戊辰戦争」の処置に繋がったのではないかと勝手に解釈している昨今です。
2018年07月14日