年 月 日 |
事 項 |
明治元年9月29日
12月 7日
12月15日
12月25日 |
酒田に民生局設置される。 |
出羽国を羽前国と羽後国に分割する。
庄内藩主忠篤、城地召し仕上げのうえ謹慎を命じられる。 |
謹慎となった忠篤に代わって弟徳之助(後の忠宝)が相続を認められる(5万石を削られ、12万石が下賜される。)。 |
会津12万石へ転封を命ぜられ(翌年5月4日撤回)、旧領地は飽海郡を秋田藩に、田川郡を新発田藩に引き渡すよう命じられる。 |
明治2年1月29日
6月15日
7月22日
7月24日
8月 5日
9月29日 |
酒田民生局長官に西岡周碩に任じられる。 |
庄内藩が磐城平へ転封を命ぜられ、300人の家臣と家族約1万人が移転を始める。 |
70万両(1石4円として想定して、70万両は175,000石となり、庄内120万石の1.46倍相当の石数に値する)の献金を条件に転封は正式に取りやめとなる。 |
忠宝が庄内藩知事に任命される。 |
酒田民生局が廃止となり酒田県(第1次)が設置される。熊本藩士津田三郎が権知事、西岡周碩が大参事に任命される。 |
庄内藩を大泉藩と改名する(川南301村を統治する。)。 |
明治4年7月14日
11月2日
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廃藩置県の詔書が出され、大泉藩を大泉県と改称する。 大泉県、松嶺県、山形県酒田出張所管轄地が併合して酒田県(第2次)が成立し、飽海郡が管轄地となる(参事に松平親懐、権参事に菅實秀が任命される。)。 |