旅での出会い

62回(昭和30年卒) 石垣 藤子
 
●旅での出会い
 梅雨明けの遅かった今年の7月、肘折温泉に出けた。大学時代の友人女性6人の会である。車中のおしゃべりも楽しみたかったので新幹線で新庄まで行き、そこから宿までは送迎バスだった。そのバスに最後に乗り込まれた一組のご夫婦がいた。首から高価そうなカメラをぶらさげたご主人がたまたま空いていた私の隣の席に座られたのである。肘折温泉までは結構長い道のりだったので、つい「どちらから?」と声をかけたのだった。
 山形県には何回か来ているんですよとのことで、話がはずんだ。茨城県の稲敷市の人だった。すると鶴岡市の酒井忠明さんという方から毛筆の丁重な手紙をもらった事があるとのこと。その手紙の中に「今もなほ殿と呼るることありて この城下町にわれ老いにけり」と書いてあったという、その方は全く知らなかったので、始めは冗談かと思ったそうだ。
 暫らくして、新聞紙上に訃報記事が載ったのをみて偉い方だったのだと分かったのだそうだ。 それは素晴らしい、滅多に手に入ることのないまさに「お宝」とすべき書簡となるものだと申し上げた。
 庄内藩主酒井家第17代当主故酒井忠明様で、我々鶴翔同窓会の会長さんも長いこと務められご尊顔を拝したことはあっても、お話したことなど無いし、ましてお手紙など畏れおおいことは考えられないと申し上げた。しかし人徳のある殿様との話は伺っているし、趣味もいろいろお持ちで、短歌、書道、真向法、カメラなど楽しまれたと聞いている。地域にも多大な貢献をされた立派な正真正銘のお殿様であったこと。「今もなほ殿と呼るる・・」の歌は平成15年の宮中歌会始で召人として詠進された歌であること。現在鶴岡公園内にその歌碑が建立されていることなど、私の知る限りで説明申し上げたのだった。
 以前湯野浜温泉に宿泊した時にご自分が発行された写真集を置き忘れ、それが廻りまわって致道博物館に寄贈されたのだそうだ。その写真集が殿様の目に留まり、ご覧になっての礼状だったとのことである。その城下町鶴岡は小さな町ではではあるが藤沢周平の五間川(内川)が流れており、だだちゃ豆など山海の美味しいものが沢山ある静かないい街なので是非一度訪ねてみて欲しいと大いに薦めたことである。
 肘折温泉の湯に浸り翌朝皆で朝市に出かけると、その人はカメラを持って待っていて下さった。
 旅から帰って間もなくその時の写真が沢山送られてきた。友人に送ってあげて大変喜ばれたことは言うまでもない。お礼状といっしょに山形名物のやたら漬けを少々送ったのである。
 新庄駅前でお別れするときに、普通は身分を話さないのだけれども、今回は本当にいい旅になった、奇遇だ奇遇だ、きっと酒井の殿様が引き合わせてくれたのかもしれないと言われ、「稲敷市の鴻野伸夫といい、菓子店を営んでいる、写真家でも検索できるかも知れない」と話してくれたのである。
 帰宅してからネットで検索してみた。すると確かに沢山でてきた。趣味の写真はプロ級で、あちこちで講演など指導もなさっている方だった。
 お菓子の方は「こうのの大福」で有名なお菓子屋さんだった。午前中で売り切れになるほどの人気商品らしい。
 それから暫らくして立派な写真集が送られてきた。「想い出の水郷」と銘打ったモノクロの写真集だった。昔の潮来の農作業風景など懐かしい日本の風景が伺われた。写真の趣味もお持ちだった殿様の目に留まったのも宜なるかなと思った。同人誌の俳句集も同封されてきた。そちらも主宰されているようで、なかなか立派な文化人で地域の知名人とお見受けした。
 最近本屋で見つけた 季刊・春秋山形に、「特集“鶴岡の殿”酒井忠明氏を偲ぶ」とあったので早速お送りした。旅の楽しみにはいろいろあるが、未知の人との出会いもまたその楽しみの一つと言える。
 梅雨の合い間の好天にも恵まれ、思い出に残るいい旅となったのである。
2007年9月20日