尚美学園大学学長に松田義幸氏

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●尚美学園大学学長に松田義幸氏
 尚美学園大学(埼玉県川越市・2000年に開学)の学長に松田義幸氏(第65回33年卒)が4月1日に就任することをネット検索で知りました。
 この投稿欄の2005年1月9日付で松田義幸実践女子大教授が係わっている「森永エンゼルカレッジ」がインターネットで開校すると紹介しました。それは母校の大先輩、東大名誉教授の今道友信先生の講義「ダンテ神曲講義」をインターネット上で受講できるという内容です。時間の経過は早いもので全15回にわたって行われたこの講義はダンテ「神曲」講義として570nの立派な本(みすず書房)になりました。また松田氏も東大名誉教授の芳賀徹氏(父は日本中世史を専攻した歴史学者、東京教育大名誉教授の芳賀幸四郎氏、昭和10年に母校でも教鞭を執る)らとの共著「芸術都市の創造」、上智大名誉教授渡部昇一氏(第55回23年卒)らとの共著「国境を越えた源氏物語」(ともにPHP研究所)もエンゼル叢書として刊行しました。
 私が松田氏とどのような経緯で知り合いになったか記憶がさだかではありません。山形で開催の民放全国大会でコロンビア大学のドナルド・キーン教授に記念講演をお願いするときに相談したような気もします。「奥の細道300年祭」を前に開催した「芭蕉のこころ」シンポジュウムでも相談にのってもらいました。松田氏は日本経済新聞社、余暇開発センターを経て多くの大学で教鞭をとり、日本の余暇・文化政策立案と地域振興のプロジェクトの仕事に携わり、国際会議のプロデュースを手がけてきました。
 当時、小説「月山」で芥川賞受賞の作家森敦氏が芭蕉の足跡を歴訪して芭蕉が仕掛けた対句を読み取り、連句による構造体として奥の細道を捉えなおす試みをしておりました。そこで公開シンポジュウムは森敦氏の他にどのようなメンバーにしたらいいかアドバイスをお願いしました。松田氏の推薦者は「知的生活の方法」などの著書で知られる上智大教授の渡部昇一氏と立正大名誉教授の竹下数馬氏。コーディネーターには趣旨を一番わかっている当時筑波大助教授だった松田氏本人になってもらいました。パネラーのみなさんからは「俳句は国際的なものになった。山形を訪れる外国の俳句の研究者、愛好者に情報提供するサポートシステムの構築が必要」などの提言をしていただきました。
 以来20年ぶりに再会した去年秋に月山の麓で一晩盃を交わす機会がありました。松田氏が日経新聞から出向した財団法人「余暇開発センター」は、高度成長期後の国民の余暇をテーマとしたシンクタンクで、その中心になったのは城山三郎の著書「官僚たちの夏」の主人公のモデルになった佐橋滋氏。彼の薫陶を受けた松田氏は才能を次々に開花させ、「心豊かな生活」を可能にする社会実現にむけて目を見張る活躍。山形県では「奥の細道紀行三百年祭」「出羽三山開山千四百年祭」等をプロデュース。昭和60年から10年間続いた西川町の「西川塾」のうち「松田塾」塾長を務めるなど県内外の事情に精通し、人脈も各分野の一流人ばかり。話は尽きることがなく、来年は大先輩丸谷才一氏(第51回18年卒)の著作をもとに「丸谷文学論」を国内外で展開したいと熱っぽく語ってくれました。
 人生80年時代の余暇・生活文化政策、生涯学習社会政策の提言している松田氏の芸術系大学の学長就任は嬉しい限りです。「心豊かな生活」を実現するその担い手の人材育成と日本の芸術文化のプロデューサーとしてさらに飛躍されることを同窓生として願っています。そして多忙な時間を割いて山形県における「丸谷文学論」の展開も期待しながら学長就任をお祝いします。

2008年3月14日
 追記
 松田義幸学長は2009年4月1日付けで「学校法人 尚美学園理事長」に就任し学校経営に携わることになりました。インターネットやITなどの高度情報化により、変化する社会からの要請に応えるために、『自ら考え、行動できる精鋭の人材育成』を目指すと理事長就任の抱負を語っています。
2009年5月22日