スプリング・エフェメラル(Spring・Ephemeral

64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
●スプリング・エフェメラル(Spring・Ephemeral
 一面、茶色がかった野や森に、ボツボツと新しい緑が顔を出し、色とりどりの花が姿を見せる季節がやってきました。春は人々にとって心弾む季節であり、待ち焦がれていた季節なのです。また、野草フアンにとってもうれしい季節で、特にサクラの季節になると咲きそろう「カタクリ」(ユリ科)は人気の野草の一つです。
 以前高館山(274メートル)を散策した折りに見た頂上付近のカタクリの群落は圧巻の一言に尽きるものでした。そこは、尾浦城を偲ぶ漢詩の石碑がある落葉広葉樹の疎林で、緩やかな東南斜面に春の木漏れ日が眩しく、その中でわが世の春を謳歌するように紅紫の可憐なカタクリが一面に咲き乱れていたのです。現在、高館山周辺には、環境省の新・奥の細道「善宝寺と高館山城のみち」のコースのほか数多くの散策路が設けられており、大勢の人々がハイキングを楽しんでいます。以来、これほど見事なカタクリの群落を見たことはありませんが、私がここ13年ほど通い続けている飯豊町の「山形県源流の森」の中にも美しいカタクリの群生地があります。
 かつて施設の管理と行事の運営に携わり、今は、一ボランテアとしてインタープリテーション活動をしている「山形県源流の森」は、豪雪地帯で有名な飯豊町中津川にあります。冬季間はあまりにも雪が深く危険なため、12月から約5ヶ月の間は一つのプログラムの実施を除き冬眠状態に入ります。2006(平成18)年までは「みどりの日」で、現在は「昭和の日」になっている4月29日になってようやく眠りから目覚めるのです。
 冬の間3ないし4メートルあった積雪は跡形も無く消え去って、園内には北斜面の日陰に少しだけ残雪の塊を残すだけになっています。まだ周囲の様子は完全に目覚めていないのですが、クラフト、陶芸、森林探索、冒険の森(プロジェクトアドベンチャー)などの各種プログラムが再開され、開園を待ちかねていた人々によって活気を呈するようになります。
 ここでは、各プログラムについて、来園者にわかりやすく解説をしたり、あるいは、もの造りのアドバイスをしたりすることを「インタープリテーション」活動といっています。そして自然解説のような場合には、自然現象を解説するだけでなく、その裏側にある自然が発するさまざまなメッセージを個々人が自由な感性で感じ取ってもらうことに努めており、ただ教科書的な解説をするのではなく、例えば、樹幹に耳を当てて樹木が根から吸い上げる水の動きの音などを聴かせて、人それぞれの五感により自然からのメッセージを感じとってもらっているほか、クラフトでもなるべく森林内から枯れ枝や木の実などの素材を求めて自由な発想で作品を仕上げるようにしてもらっています。そしてインタープリテーションを実施する仲間達のことを「インタープリター」と呼んでいますが、同様の施設である「眺海の森」(酒田市)、「遊学の森」(金山町)、「県民の森」(山形市・山辺町)では、「森の案内人」と呼んでいます。
 オープン当初の源流の森の「冒険の森」は、春とはいえまだ浅く、木々も十分展葉していないため、柔らかな日差しが林床の隅々までに差し込み、そこに6弁の紅紫色の可憐なカタクリの花が群がるように咲き誇っています。籠を傾けたようなその姿から別の名を「カタカゴ」ともいい、可憐ゆえに引き抜くのはかわいそうな気もしますが、地上部を引き抜き、茹でて乾燥したものを水で戻して煮物、ひたし、和え物、甘酢漬けなどにして食すると美味が味わえます。終戦直後で食糧難だった子供の頃には、よく親と一緒に郊外に採取に行き、山菜として食したことを懐かしく思い出します。また、現在はジャガイモの澱粉に取って代わられましたが、昔は地下の麟茎からカタクリ粉を採ったところからカタクリの名が付いています。
 このカタクリをよく観察していると、開花の期間はすぐに終わり、木々が新緑を広げる本格的な春を向かえる頃になると、緑に薄紫色の斑点がある特異な葉のみとなります。やがて雑木林の木々が十分にその葉を拡げて緑を濃くする頃になると、黄色くなった葉も完全に枯れて、地上部はその姿を完全に消してしまいます。
 このように春まだ浅い時期に芽を出し、あっという間に成長して花を咲かせ、夏まで葉をつけると、後はひっそりと地下の球根だけで過ごす一連の草花の総称を「スプリング・エフェメラル(Spring・Ephemeral)」といいます。植物学では「Ephemeral・Plants」と呼ばれることもあり、「春植物」と約すのが一般的ですが、Ephemeralという言葉は、「1日の命」、「短命な」、「つかの間」といった意味の英語の形容詞ですから、これをもう少し情緒的に訳して、「春の短い命の植物たち」とか「春の短命のものたち」、あるいは地上での生活が春先のひと時に限られ、はかなく短いところから、さらには、いつの間にか地上部の姿を消してしまうところから極端に意訳して「春の夜の夢植物」とか「春の妖精たち」などと呼んでいるロマンチックな人もいるようです。
 長年園内で観察をしていた結果、カタクリと同様の生活史を持つ植物としては、他に、フクジュソウ、イチリンソウ、ニリンソウ、セツブンソウ、アマナなどがあり、これらは、カタクリと同様にいずれも夏緑の落葉広葉樹林の林床で、春先に光を受けることができる短い期間に、またたく間に芽を出し、成長、開花、結実をして、同時に根茎や鱗根(球根)などの貯蔵器官に栄養を蓄える多年草植物であることが分かりました。多年草植物と言うのは、2年以上生き延びることができる草花のことで、地上部が枯れても、地下には地下茎や鱗根などが残り、次年度に芽が出せるものをいいます。これに対してアサガオやヒマワリなどのように春から秋にかけて発芽、開花、結実のすべてを行い、その年の内に枯死してしまう草花を一年草植物といいます。
 このカタクリ、フクジュソウなどのスプリング・エフェメラルのことを調べているうちに、可憐な花を開花させるまでには数年という歳月を要する不思議な生活史があることもわかりました。調査結果について、カタクリを例にとって解りやすく表にまとめてみると次のようになります。

年  数 生        活        史
1 年 目 長さ数センチメートル程度の糸状に成長しますが、葉らしくならずに枯れてしまいます。ただし、光合成で作り出された養分で地下に小さな球根をつくります。
2 年 目 球根から芽を出します。1年目より葉は大きくなり、カタクリらしくなりますが、これ以上大きくならず、枯れてしまいます。1年目に比べてやや大きな球根を作ります。
3 年 目 2年目よりやや大きな葉を出し、やや大きな球根を作ります。
4・5年目 3年目よりやや大きな葉を出し、やや大きな球根を作ります。
6・7年目 今までもより一層幅の広い葉を出し、翌年花をつけるように一生懸命光合成を行います。
8 年 目 葉の大きさはやや小ぶりとなりますが、2枚葉となり、その間からつぼみを立ち上げ、立派な菜花を咲かせます。
 
 ところで、いまさら私が説明するまでもありませんが、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集に「万葉集」があり、これには天皇、皇族、官吏、防人、など様々な身分の人々が詠んだ歌が1巻から20巻までに4,500首以上収録されています。この万葉集は巻ごとに編者がおり、最終的に大伴家持が纏めたのではないかといわれておりますが、春の歌の中に大伴家持がカタクリの花の可憐さを詠んだものがありましたので、拙文の最後に紹介しておきます。今と違って万葉人はカタクリに興味が無かったのでしょうか、万葉集にはカタクリを詠んだ歌はこの歌一首のみでした。
≪堅香子草を攀じ折る歌≫19巻4143
もののふの八十をとめ等が汲みまがふ寺井の上の堅香子の花
現代語訳
≪堅香子の花を折り取ろうとしたときに詠んだ歌≫
大勢の乙女たちが入り乱れて飲み水を汲む寺井(お寺のそばにある井戸・泉)の上に咲いている堅香子(カタクリ)の花はなんと可憐なことよ。
2009年5月1日