アジサイの花の色の不思議について

64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
●アジサイの花の色の不思議について
 山形駅の西方約7キロメートル、村木沢出塩の文殊山と呼ばれる山の中腹に「五台山文殊堂」があります。弘法大師の開山とされ、安置されている文殊菩薩と境内参道脇にある2株の合成によって生じた杉の奇形木(夫婦杉)が山形市の文化財に指定されています。
 真直ぐ続く長さ 515メートルの石段と石畳の混じる参道沿いには、約40種、2500株と称するアジサイが植栽されているため、通称「あじさい寺」とも呼ばれ、梅雨期の花時には大勢の人々が訪れて賑わいます。このアジサイは石段の崩壊を防ぐ目的で1987(昭和62)年から7年間にわたって地元の人々の手により植えられたとのことですが、1996(平成8)年からは地元で「あじさい祭実行委員会」を組織し、茶会やアジサイのライトアップなどの催しを行っています。色とりどりのアジサイの群植は見応えがあるので皆さん方も一度お尋ねになってみてはいかがでしょうか。
 ところで、現在最も普遍的に見られる球状のアジサイは、西洋アジサイと呼ばれるものであり、日本原産のガクアジサイを改良した品種です。ガクアジサイは、シーボルトよりも早く、1789(寛政元)年にイギリスの博物学者、バンクス卿によってヨーロッパに紹介されています。日本から中国に渡っていたものを王立キュー植物園に導入し、以後様々な品種改良が行われました。自動車事故で亡くなったモナコ公国のグレース・ケリー王妃も来日した際、この日本のガクアジサイをえらく気に入り、国に持ち帰って宮殿の庭にたくさん植えて楽しんだそうです。
 日本原産のガクアジサイは、中央に多数の萼片(注1)や花弁(花びら)の発達しない両性花(注2)の小さい花をつけますが、更にこれの外側に長い柄のある花弁状のものを4個つけたものが複数取り巻き、これがいかにも花びら(注3)のように見えます。しかし、これは実は顎で、この内側に小さくあるのが本当の花なのです。ただ、この花は中性花(注4)ゆえに結実しません。つまり、ガクアジサイは、両性花と中性花の2種類の花を持つのですが、外側の顎の方が大きくていかにも花のように見えてしまうのです。
(注1) 花びら全体(花冠)の外側にある、通常小さな葉の形をしているものの一つ一つを顎片といい、顎片全体を顎といいます。顎は蕾の時に花冠を保護する役目があります。
(注2)  一つの花にオシベ、メシベの両方がある花のことです。結実します。
(注3)  装飾花といいます。
(注4)  オシベ、メシベともに退化して生殖能力を持たなくなった花のことで、無性花とも言います。
 一方、現在一般的に庭に植えられているアジサイの方は、外側の私たちが花弁(花びら)と見ているのは、実は萼(装飾花)で、中心の小さい花が本当の花(真の花)です。両性花ですが、子房が良く発達していないので結実しません。気象庁ではヒバリ、ウグイス、ホタル、サクラ、アジサイ、サルスベリなど動植物の「生物季節観測」を行っていますが、アジサイの場合は、「装飾花」でなく「真の花」の開花をもって「アジサイの開花日」としています。真の花は普通装飾花より10日以上遅く咲きます。
 昨年1年間、井上 俊(いのうえ たかし)さんが山形新聞に「いにしえの草木」という題でコラムを連載しましたが、この連載でアジサイに関する記事は、6月10日掲載の「ガクアジサイ」と7月5日掲載の「ツルアジサイ(ゴトウズル、ツルデマリ)」でした。万葉人が目にしたアジサイは日本古来の「ガクアジサイ」や「ガクアジサイ」に類似した「ヤマアジサイ(サワアジサイ)」、あるいはつる性の「ツルアジサイ」などであったので、歌を詠むとすればこれらが対象となります。ちょっと意外な感じでしがアジサイを読んだ歌は万葉集には次の2首しか登場しませんでした。ただ、平安時代以降になると「あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな(アジサイの繁みを洩れた月の光が、池の面に四ひらの花のように映じている。その影をさながら折り取ることができたらいいなあ)」(源俊頼・「散木奇歌集」)のように少しは詠まれるようになったようです。平安文学にアジサイの名が見えないのは、色が変わることが心の変節と結び付けられ、道徳的ではないとみなされて、近世までは目立たなかったとする説があるようですが、逆に西洋では色変わりが珍しがられて改良が進んだといいます。
言(こと)問(と)わぬ 木すら紫陽花(あじさい) 諸弟等(もろとら)が練りの村戸に あざむかえけり(大伴家持 巻四 773)
・歌意:(花の色が変わる、色違いが多いとされる紫陽花をもって、調子よく心変わりする人々を揶揄して)ものを言わない木でさえ、紫陽花のように色鮮やかにみせてくれますね。それ以上に言葉を操る諸弟たちの上手い言葉にすっかりだまされてしまったことですよ(坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ))に贈った歌のひとつです。)。
紫陽花の 八重咲く如く 弥(や)つ代にを いませわが背子 見つつ思(しの)はぬ(橘 諸兄 巻二十 4448)
・歌意:紫陽花の花が八重に咲くように、いつまでも栄えてください。貴方を見仰ぎつつお慕いいたします(この歌は、息子の奈良麻呂の庭で詠んだといわれており、この時代すでに庭木として栽培していたように見えますが、前述のように、当時はアジサイの花の色が変わることが心変わりと結び付けられ、反道徳的とみなされていたことからみて、庭木として積極的に植栽されたとは考えられません。従って、庭木としてのアジサイを詠んだものではないと考えられます。)。
 今までアジサイの花の色は「土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」と習ってきましたが、大伴家持の歌のように万葉の歌人もアジサイの花の色が変わってゆく、あるいは株によって花の色違いがあることを知っていました。同じ株の花でも枝によっては赤色になったり、青色になったりすることもあるので、私もこれについては長い間疑問に思っていましたが、最近「アジサイはなぜ七色に変わるのか?」(東京学芸大学教授・武田幸作著、1996年2月22日、PHP研究所)という本に出会い、ようやくその理由を知ることができました。
 この本によると、土壌のpH(酸性度)は花色を決定する要因の一つに過ぎず、もっと重要なことは土壌中のアルミニュウムの存在なのだそうです。現在普遍的に見られるアジサイの場合、萼片が大きく色がついており、花弁(はなびら)は小さく目立たないために萼片が花弁に見えるのですが、これからの説明ではあえてアジサイの萼片を花(装飾花)として取り扱うことにします。
 アジサイの場合、花色はどの色であっても、色の元である色素は「アントシアニン」です。まったく同じ種類のアントシアニンにもかかわらず、花によって濃い赤色として咲いたり、淡い青色として咲いたりするのです。色素であるアントシアニンは、アジサイの花に含まれています。花色をだすために色素に影響する無色の化合物である「補助色素」も、花に色がつき始めるに従って、花の中で合成されていきます。
 花色決定に重要なアルミニュウムですが、アルミニュウムが最も溶け出すのは酸性の土壌で、中性やアルカリ性の土壌では、土の中でアルミニュウムは水に溶けにくい状態になっています。そのため青色の花をつけるには、アジサイのある場所が酸性の土壌で、「アントシアニン」、「補助色素」、「アルミニュウム」の三者が揃うことが必要なのです。中性やアルカリ性でアルミニュウムの溶け出しにくい土壌に根を張っているものは、アルミニュウムの吸収が悪くなり、花の色は三位一体の法則が破れて、アントシアニンが本来持っている赤色や紫色といった花の色となるのです(注5)。
(注5) 例外的に補助色素が少量だったり、補助色素の働きを妨げる成分が多く含まれている場合には、根からアルミニュウムが十分吸収されても青色の花をつけません。補助色素やその働きを妨げる成分は遺伝的に決まっていますからアジサイの品種によってはこのようなことが起きます。
 一般に、アジサイの花は、葉緑素を含むために当初は薄い黄緑色をしています。花が大きくなるに従って葉緑素が分解して緑色は薄くなり、その後、アントシアニンが合成されて徐々に赤色や青色に色付きはじめ、花の盛りを迎えますが、花の盛りを過ぎると褪色して青色は紫っぽくなってきます。これは、花の中の酸性の程度が強くなったためで、青色では青色に赤みが出て紫色がかり、色が褪せたようになります。この頃になると、色素自体も少しずつ分解してきます。この色変わりは、いわゆる花びらの老化の一種によって起こるのです。アジサイの場合、薄紫や薄紅色など、もともと淡い色合いの種類を見慣れているので、多少色褪せても、それを「褪せた」と感じないのかもしれません。また、植物の細胞が年を取ってくると、多くの場合、細胞液の中の酸性物質などが徐々に増えてきます。人間ならば、血液が循環して不要なものを汗や尿として排除できるのですが、植物には清浄機能を発揮する循環器官がありません。このような老化に伴う細胞の変化が、アジサイの花の色に変化を起こすのです。これで、アジサイが「七変化」という別名を持っているわけが良く分かりました。
 因みに、アジサイは学名をハイドランジェ・マクロフィラ(Hydrangea macrophylla)といい、「水と器」+「大きな葉をした」という意味です。しとしとと雨が降り続く、あまり花の多くない時期に、庭の一隅に毬状の大きな花を付けて咲いている姿に相応しい名前です。しかし、日本庭園では、静、侘び、さびにつながる精神を尊びますから、そのような中では、見え隠れにつつましく咲く原種のガクアジサイやヤマアジサイが好まれます。このようなことで、江戸時代の俳聖、松尾芭蕉は露地に咲くアジサイを次のように詠んでいます。
紫陽花や藪を小庭の別座敷
・歌意:離れ座敷の小さな庭は、藪をそのまま眺めとして取り入れた庭ですが、折からアジサイの青い花が咲いています。いかにも世の中の煩わしさから離れて静かな趣が深いものです。
  
2009年7月1日