「井岡寺(鶴岡)の枝垂れ桜」

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●「井岡寺(鶴岡)の枝垂れ桜」
 夏に枝垂れ桜の話はまさに「十日の菊」と笑われるかもしれません。(9月9日は重陽,菊の節句。10日の菊は時期に遅れて役に立たない。タイミングがずれると遅きに失する意)しかし、桜を思い、翌年の春に心を寄せて年々を重ねる人も多いので、あえて話題とします。
 山形を終の棲家にした友人と花見の話題をしたところ、即座に「井岡寺の枝垂れ桜がいい」と言って一冊の本「桜 日本人の心の花」(文芸春秋 特別版 平成15年3月臨時増刊号)を貸してくれました。TVの夜桜中継で井岡寺の枝垂れ桜は心に沁みるものだったと、当時大変に話題になったそうです。東京出身の友人にわが故郷の桜の名所を教えてもらいました。旧庄内藩主の酒井忠明さんが公にしないで秘かに楽しんでいた枝垂れ桜です。
 テレビ朝日系の夜の報道番組「ニュースステーション」のなかで春ごとに、由緒ある桜を生中継で伝える「夜のさくら旅」のリポーターを続けていたエッセイストの轡田隆史さんが上記の本で「幻の花」と題して「井岡寺の枝垂れ桜」を次のように紹介しています。

 春ごとにわたしは、あちこちで出会ってきた桜と人びとに、「はるかだのう」という挨拶をこころの奥でつぶやく習わしである。
 「はるかだのう」とは、山形県鶴岡市の庄内藩酒井家十七万石のご当主、酒井忠明さんが教えてくださった庄内の浜言葉なのだ。いやあ、ひさしぶりだなあ、という意味である。「遥かに離れて久しかったなあ」という想いにあふれた挨拶である。
 歌人でもある「大殿様」は2003年の新春を飾る、「歌会始」の栄えある召人をつとめて、

 今もなほ殿と呼ばるることありてこの城下町にわれ老いにけり

と歌われた。 その模様をテレビで拝観し、のびやかな朗誦に耳を傾けながら、数年前、「大殿様」に見せて頂いた、井岡寺境内の、樹齢四百年の雄大な枝垂れ桜の幻をこころに想い描いていた。

 殿様とエッセイストの花見は「枝垂れ桜は天を摩するがごとくに聳えていた」「わたしたち二人は、ただ沈黙して座していた。無心の時が流れた。満開の枝垂れの花びらが、滝のように落ちた。天から池の水面まで、巨大な虚空を満たして、花びらは乱舞した。視野すべてが薄紅の花びらに覆われて、わたしは己自身の存在を見失ったように感じた。」と名文は続き、二人で悠久の時を過ごしたこの夜の最後を、轡田さんは「はるかだのう」という以外に、桜たちに呼びかける言葉をわたしは知らないと結んでいます。
 このエッセイを読んだからにはなんとしてでも「井岡寺の枝垂れ桜」にひと目だけでもお目にかかりたいとの思いは募るばかり。こんなときは幼なじみが一番の頼りになります。3年生まで在籍した鶴岡4小の同級生、国指定重要文化財旧風間家住宅「丙申堂」でボランティアをして地元の情報に詳しい五十嵐節子さんに話をしました。「TV中継があってから毎年のように見さ行っている。鶴岡公園の桜よりも、井岡の桜は咲く時期が遅いようだのう。同級の光子さん覚えてるんだろ。彼女がお寺の向かいの吉住という家さに嫁なっているさげの。毎日見に行ってもらって、花がちょうどいい時を教えてもらって電話する」そして「今年はいつもの年より花の咲き具合が淋しいようだど。んだども、今がちょうど見頃だそうです」と電話をくれました。4月の中旬過ぎに、憧れの枝垂れ桜と会いに出かけました。
 坂道を上って本堂前に到着。居合わせた見物客に枝垂れ桜の場所を聞くと、本堂と位牌堂を結ぶ渡り廊下の下をくぐりぬけるのだとのこと。腰を曲げてくぐり抜けるとありました。池の向こう岸に満開の枝垂れ桜、背後に杉並木、エッセイで描写されていた景色が広がります。殿様と轡田さんのお二人が座って眺めた位置はどのあたりだったのか、いろいろな角度に立ったり腰を下ろしたりして「初めてお目にかかります」とつぶやき、至福の時をすごしました。そして来年からは「はるかだのう」と呼びかけることにして本堂に向かいました。
 私は小学校3年の時に母方の祖母に連れられて湯田川温泉行きのバスを途中で降り、真夏の太陽が照りつける中、お墓参りしたことを記憶しています。母方の菩提寺は藤沢周平の小説「又蔵の火」の舞台になった陽光町の「総穏寺」。墓地は又蔵と丑蔵の相討ちの場の傍にあります。普段はここにお参りでしたが、古いお墓が井岡寺にもあると連れてこられたのです。今となって場所はまったくわかりません。本堂で尋ねたところ女性が親切に山の墓地まで案内して「この辺りが庄内藩士の墓地です。探してみてください」というのです。ありました。墓碑に船戸意晋、明治6年没とあります。65年ぶりに先祖に手を合わせました。
  轡田さんのエッセイが載っている特別版「桜 日本人の心の花」で同窓会の大先輩、作家の丸谷才一さんが、歌人の岡野弘彦さん、詩人の大岡信さんと鼎談しています。「桜うた千年 桜 詞華集」。丸谷さんは江戸時代の歌謡集、松の葉にある「うた」を挙げています。
    吉野川には桜を流す
    龍田川には紅葉を流す
    橋の上より文とり落とし
    水に二人の名を流す
 吉野川に流すのは何? 桜  龍田川には? 紅葉 じゃあ私たち二人が流すものは? それは浮名を流すに決まっている
 丸谷さんは、言葉遊びに過ぎないんだけれど、起承転結の妙と遊びの巧みさでちょっといい気持ちになると、桜の華やぎを語っています。

 この特別版には同窓の直木賞作家、佐藤賢一さんも「桜が散るたび」と題して鶴岡からの桜だよりを執筆しています。

 五百余本の桜が並ぶ鶴岡公園は城跡である。周囲には鶴岡南、鶴岡北、鶴岡工業と、県立高校が三校も鎮座している。土地一番の桜の名所が目と鼻の先なものだから、放課後ともなると、たかが高校生の分際で皆が花見と洒落こむのだ。
 ひょいと手を伸ばせば、もう桜の花に触れられるような窓辺の席に、少し神経質そうな女の子が、いつもカバーで中身が知れない文庫本を開いていることを、私は見逃していなかった。もちろん、鶴岡北の制服だ。勇気を出して声をかけた、あの放課後のことを、鶴岡公園の桜が散るたび、私は思い出してしまう。窓の向こうの桜は、そのとき確かに美しかった。ああ、桜は散るから美しいのだと‥

 風雅和歌集では歌の分類を「待花」(まつはな)「初花」(はつはな)「見花」(みるはな)「曙花」(あけぼののはな)「夕花」(ゆうはな)「月花」(つきにはな)「惜花」(おしむはな)「落花」(らつか)と美しい分け方をしています(歌人 岡野弘彦さん)
 歌の数は「見花」と「落花」が圧倒的に多いですね。やっぱり桜の花は、この二つのときの風情が日本人にとって一番心に迫るものなんですね。(作家 丸谷才一さん)
なんといっても桜は日本人の心の花です。
  
2009年7月10日