「地租改正の測量絵図」

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●「地租改正の測量絵図」
 6月に町内会の南原公民館で開かれた「絵馬」が語るもの〜ひとびとの祈りと願い〜 の研修会に参加しました。山形市文化財保護委員・県立博物館の野口一雄先生が講師で、 生まれた子どもを間引きする「子返し図」、婚礼の時期を迎えた亡き子どもへの思いを託した「ムカサリ絵馬」など貴重な絵馬30数点をスクリーンに投影しての解説。私が興味を持ったのは庄内に4点もあり全国的にも珍しいという「地租改正測量の絵馬」の話です。
 明治6年(1873)の地租改正公布により、山形県は明治8年に地租改正事務局を設置し翌年の完了を目指したといわれます。野口先生の研究によると、田んぼで土地の測量を描いた「絵馬」が「庄内町福島皇太神社」(明治8年)<1875>「同 桑田皇太神社(明治9年)<1876>「三川町青山神社」(明治9年)<1876>「酒田市吉田八幡神社(明治13年)<1880>に奉納されています。
 地租の由来は、大化の改新で成立した律令国家が、唐に倣つて採用した「租・庸・調」の「租」で、田畑の収益を課税物件としたものです。豊臣秀吉が天正10年(1582)に行った「太閤検地」で土地の生産力を玄米の生産量の石高であらわし、その石高に応じて年貢を課すことにされていました。
 明治政府は総ての土地に賦課して一定の額を金納させることを決め、地租改正を実施したといわれます。そして藩政期の庶民(大半が農民)の土地所有を根本的に改めました。庶民が土地を私的に所有することを認め、地租を課すことにしたのです。政府は全国の土地を測量し、土地所有者に地券を与えました。それが地租改正です。
 なぜ、このような地租改正図が絵馬にして神社に奉納されたのか。しかも私の知っている鶴岡の親類の家では、祝い事のあるたびごとに、田んぼを測量している様子を描いた掛け物を床の間に掛けていました。家人はその来歴を知りませんでしたが、私は「太閤検地」を記録した掛け物ではないかと、眺めていたのです。講演終了後に野口先生にお話して研究のために掛け物を貸してもらうことにしました。
 掛け物の「地租改正測量絵図」は右隅に役人と書記と思われる人が座り、梵天などをつけた竿竹を持った村人が田んぼを囲っています。背景は羽黒山、月山と思われる山々が描かれています。
 描いた人は誰か。落款は読めません。印影をみると潭と読めます。図書館で「庄内人名文化芸術名鑑」(長南寿一編)を開き潭のつく名前を探しました。「市原円潭」という人がいます。その経歴は 「文化14年(1817)〜明治34年(1901)画僧。酒田天正寺町の呉服商市原平三郎の四男。幼少時より絵を好み、江戸の絵師狩野探淵に入門。京都・奈良・長崎等西国の社寺を巡歴して多くの古仏画を模写するとともに、冷泉為恭に大和絵を学んで独自の画風を確立した。文久3年(1863)帰郷、田川郡大淀川村(旧大泉村、現在の鶴岡市)淀川寺の住職となった。85歳で入寂、同寺に葬られた」とあります。
 山形美術館にも彼の作品が3点あるというので野口先生にお願いして「地租改正測量絵図」の画風、落款、印影が似ているかどうか山形美術館所蔵の作品と比べてもらいました。読むことが出来なかった落款は円潭の別号「浮木叟」にぴたり一致しました。印影も○の中に潭で、まさに円潭です。加藤千明館長によると市原円潭の作品は庄内にたくさん出回っている。致道博物館で作品展が開かれたこともあるとのお話でした。調べてみると確かに平成3年に鶴岡市常念寺所蔵「市原円潭仏画展」が開かれていました。
 なぜこうした「地租改正測量」の様子が絵馬などに描かれたのか、しかも庄内に多いのか、野口先生は、これからの研究課題と話しています。掛け物の「地租改正測量絵図」は背景の山には鶴が舞い、田んぼには亀が描かれています。野口先生は「田んぼの所有権が認められて安定した生活が出来るようになった。その原点は地租改正にある」として、当時地元で名声を博していた円潭に描いてもらった縁起物ではないか。応需と揮毫してあるので「頼まれて描いた」掛け物という解説でした。所蔵している家は農家でしたが、大地主ではありません。先祖に出家して永平寺で修行、僧職になった人がいる家なので、画僧円潭にお願いして描いてもらったか、あるいは古道具屋あたりで買い求めたのかもしれません。
 山形市周辺に在住する庄内にかかわりのある人たちの「庄内会」が7月に開かれました。小林茂實前会長にこのエピソードを話したら「市原!呉服屋ではないか。円潭!それはオペラ歌手、市原多朗の先祖では?」と教えてくれました。改めて「新編庄内人名辞典」(庄内人名辞典刊行会)を開いてみても「庄内人名文化芸術名鑑」とおなじく呉服商市原平三郎の四男とあります。円潭の「信貴山縁起絵巻摸本」は酒田市文化財に指定されていました。市原多朗氏は日本を代表するオペラ歌手、1987年芸術選奨文部大臣賞新人賞、ジローオペラ大賞、1990年酒田市特別功労表彰。芸術のDNAは確実に明治から現代に引き継がれていました。
  
2009年8月21日