敬老の日を迎えるにあたって2、3調べてみたこと

64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
敬老の日を迎えるにあたって2、3調べてみたこと
1 100歳以上の長寿者は県内に495人
 今年もまもなく「敬老の日」がやってきますが、平成23年9月6日付けの山形新聞記事は、「老人の日」を前に山形県発表による県内の100歳以上の高齢者が495人いることを報じていました。その内容を要約すると次のようになります。
 前年同期の数字に比べて10人増加し、過去最高を更新した。また10年前と比較するとその数字は約32倍となり、男女別の比率は、女性が男性の7.5倍で、女性の長寿者が際立っている。これについて、山形県当局は「健康を維持するための日常の運動の普及や医学の進歩が後押しした結果が長寿化の原因である。」との見解を述べた。市町村別では、人口の多い山形市が103人、次いで鶴岡市が62人、米沢市が49人、酒田市が45人と続いている。また、100歳以上のひとは、県内35市町村に必ず1人はいる。県内の最高齢の人は女性で、新庄市の若野シュンさんといい111歳(1900(明治33)年生まれ)、男性は山形市の石井重三さんで105歳である。なお、山形県では数えで99歳になる「白寿」の人、女性394人、男性85人、合計479人の人々を老人の日に合わせて白寿の賀詞を贈呈することになっている(市町村ごとの集計表掲載)。
2 「敬老の日」と「老人の日」
 1947(昭和22)年9月15日、兵庫県野間谷村(現在は町村合併により多可郡多可町)の門脇政夫村長が村の敬老会を開催し、以後この日を「としよりの日」と定めてから兵庫県内各市町村にも祝日制定を働き掛けた結果、ここから県内はもとより敬老福祉のための運動が徐々に全国的に展開されて行きました。その後、時の政府は1951(昭和26)年9月15日からの1週間を「老人福祉週間」と定めて、老人を労わり社会の発展に貢献してきた労を労うこととし、9月15日を聖徳太子が四天王寺に「悲田院」を設立したと伝えられる日に因んで「年寄りの日」と定めました。更に、1966(昭和41)年には、「国民の祝日に関する法律」を改正し、「建国記念の日」、「体育の日」とともに「年寄りの日」を「敬老の日」と改めて「国民の祝日」に追加しました。その趣旨は『多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う』というものです。その後、2001(平成13)年に至り、同法の改正が行われ、2003(平成15)年からは、祝日日をそれまでの9月15日から毎年「9月の第3月曜日」とすることにするとともに1963(昭和38)年に制定した「老人福祉法」の一部改正を行い、今まで「敬老の日」であった9月15日を「老人の日」としました。この老人福祉法改正の目的は、『広く国民が老人の福祉について関心と理解を深め、なおかつ老人が自らの生活向上に努める意欲を高めるようにする』というものです。
3 老人と呼ばれるのは何歳(?)
 ところで、人間年を重ねると体の色々な機能が落ちてきて、やがて寿命が尽きるわけですが、2010(平成22)年の厚生労働省発表によりますと、日本人の平均寿命は男性で79.64歳、女性が86.39歳(2010で、女性は世界のトップ、男性も第4位の長寿を誇っています。日本人の平均寿命が50歳を超えるようになったのは第2次世界大戦以降だそうで、大正時代は10歳までに25パーセントの人が亡くなっており、平均寿命は40歳でした。中国の最も偉大な詩人と言われる盛唐の詩人・杜甫が漢詩「曲江(きょくこう)」で「人生七十古来稀なり(人間一生で70歳まで達する者はごく少ないという内容)と詠んだ「古希」まで生きるということは、当時の人々にとってそれはとても至難なことでした。
 今でも人間40歳を迎えると成熟期を終えて血管の老化が始まり、生殖機能が低下し、目の水晶体の調節が利かなくなって視力が弱くなります。毛髪はメラニン色素を失って白髪となり、性ホルモンの比率の変化によって脱毛が著しくなります。事実「四十がったり」、「四十暗がり」、「四十肩」などの言葉があるように、体力、視力の衰え、原因不明の肩痛でぼやき始めます。40歳はまさに老人の域に入りかけた年齢であり、俗に「初老」と呼ばれる所以です。
 一方、漢字の「老」と言う字について調べてみると、その成り立ちは、「腰を曲げて杖をつき、頭髪を長く伸ばした人の形にかたどり、年寄の意を表した象形文字で、身体が固く強張った様を示すもの」で、50歳以上の人を指すことが分かりました。また、中国では髪の毛が艾(もぐさ)のように白くなるという意味で、50歳を「艾老(がいろう)」ということも分かりました。
 ところで、国連の世界保健機構(WHO)の定義では65歳以上の人のことを「高齢者」としており、65歳〜74歳を前期高齢者、75〜84歳を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者としています。
 現在の日本の「老人福祉法」では65歳を「老人」としていますが、高齢者等の雇用の安定に関する法律では高齢者とは55歳以上の者をいうとしており、税法上は、老人扶養親族は70歳以上を該当者にしています。更に、「健康保険法」では70歳になると「高齢者」と認定され、さらに75歳になると「後期高齢者」と認定されます。このように法律や制度によって老人に関する扱いは、55歳、60歳、65歳、70歳75歳とそれぞれ異なっていますが、私の住む町内会では、世帯における「高齢者」の占める割合が高く、60歳以上を「老人」扱いにしており、また、老人の親睦サークル・「明老会」の入会資格年齢も60歳以上としております。
4 人生五十年の仏教の宇宙観
 織田信長が桶狭間の戦いの際、幸若舞の「敦盛」の一説を『人生50年 下天(げてん)の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度(ひとたび)生を受け滅せぬ者のあるべきか』と謡いかつ舞って出陣したという話は有名です。謡の意味は「人間の一生は精々50年ほどであるが、下天においては僅か1日のことであり、まさに夢幻のようなものである。」というようなことになります。この現象世界の全てのものは生滅して、留まることなく常に変移しているという「無常観」に対する信長の気持ちが強く表現されていると思います。
 この「下天」とは、仏教の宇宙観から出た言葉で、末尾の表を参照していただきたいのですが、「天界」の中の「地上天」に属する「四大王衆天(しだいおうしゅうてん)」のことをいいます。つまり「天界」の中の最下位に位置する「天界」を意味します。ただ、「信長公記」は「下天」と表記しているのに対して幸若舞は「化天」と漢字表記しており、この「化天」は「下天」の一つ上の界の「三十三天(さんじゅうさんてん)」を指します。
 さて、仏教では、直径が太陽系ほどの円盤が虚空の中に3枚重なっており、その上に、高さ132万キロメートルの山が載っています。これが一つの世界で、「小世界」といいます。小世界が千個集まったものが「小千世界」、小千世界が千個集まったものが「中千世界」、中千世界が千個で「大千世界」といい、この世界全体の中心に「大仏如来」が存在し、一つの小世界の人々を導くために現れたのが「釈迦如来」であると説きます。
 前述の3枚の重なった円盤は下から直径318×10の49乗万キロメートル、厚さ1,120キロメートルの「風輪(ふうりん)」、その風輪の上に直径840万キロメートル、厚さ560万キロメートルの「水輪(すいりん)」が、水輪の上層部には直径840万キロメートル、厚さ224万キロメートルの「金輪(こんりん)」と呼ぶところがあるとされています。私達が下に打ち消しの語を伴って。「決して」、「断じて」の意味として用いる「金輪際(こんりんざい)」は「水輪」と「金輪」との境のことから出た言葉です。この金輪の周辺部は「鉄囲山(てついせん)」と呼ばれる鉄で出来た山脈によって囲まれていて、その中に水がたたえられています。その中心に「須弥山(しゅみせん)」が聳え、これを中心に同心円状に七つの山脈が並んでいます。七つ目の山脈の外に、四つの大陸があります。北の「倶瀘州(くるしゅう)」、東の「勝神州(しょうしんしゅう)」、南の「膽部州(せんぶしゅう)」、西の「牛貸州(ごけしゅう)」で、人間の住む島は南の「贍部州(ぜんぶしゅう)」です。表面には人や家畜が住み、地下に餓鬼・地獄の世界もあります。須弥山の海上に出ている部分は正方形の山で海抜8万由旬あるといいます。由旬は、古代インドの距離単位で、1由旬は牛車が1日に歩く行程で、11.5キロメートル乃至14.5キロメートルといわれています。須弥山の北面は黄金、東面は白銀、南面は瑠璃、西面は玻璃(水晶)でできています。また、水面下は8万由旬であるといいます。
 「須弥山」の中腹には、4層の張り出しがあって、仏法と仏法に帰依する人々を守護する「四天王」とその眷属(部下の意味です。)が住む「四大天衆天」があります(ここが「下天」です。)。須弥山の頂上は、80万平方キロメートルという広大な面積を持ち、映画「風天の寅さん」で有名な仏教を守護する天尊の一つである「帝釈天」を首領とする三十三天が「喜見城(きけんじょう)」に住みます(ここが「三十三天(又は「?利天(とうりてん)」であり、「化天」といいます。)。なお、須弥山の中腹の高さには太陽、月、星が水平に回っています。
 「下天」は海抜四万由旬(57万6千キロメートル)の所に存在することになり、ここに住む「四天王」とは、北方の「多聞天(たもんてん)または「毘沙門天」(びしゃもんてん)」、東方の「持国天(じこくてん)」、南方の「増長天(ぞうちょうてん)」、西方の「広目天(こうもくてん)」といい、私の家にある日蓮宗の「大曼荼羅本尊」には、左右に「大毘沙門天」、「大持国天」、「大増長天」・「大広目天」がそれぞれ配されています。
 「須弥山」の上空は「空居天」といい、これより上位の世界は地上を離れ、空中になります。
 以上の「四天王天」と「三十三天」の世界は「三界」の内の「欲界(よくかい)」に属します。「欲界」と言うのは人間よりはとらわれの程度が少ないのですが、ときどき色情欲、睡眠欲など本能的な欲望にとらわれる世界です。ここまでは男女の区別がありますが、次の「色界」からは性別が無くなります。
 須弥山の上方の空中の天である「空居天(くうごてん)」は、下界から順に「夜摩天(やまてん)」・「観史多天(としたてん)」・「楽変化天(らくふんげてん)」・「他化自在天(たげじざいてん)」の階層になっており、この「空居天」と前述の「地居天(又は四天王天)」を合わせて「六欲天」といいます。「空居天」も「欲界」に属します。
 更に、欲界の上に「初禅天」・「大二禅天」・「第三禅天」・「第四禅天」が存在する「色界」があります。ここは、「欲界」に比べて食欲や、色情欲を離れますが、物質的な束縛から脱却していない仏が住む世界となります。 最後に「無色気界(むしきかい)」があって、ここには、肉体的物質から離脱して真理の観察力と心の安定状態が更に進んだ仏が住む世界となり、体の大きさは無く、寿命だけとなります。
 そして最上界が「仏界」になります。最高位の「仏界」は悟りを得た者のみが住む世界で、仏の世界をさします。
 なお、「地居天」は地上の須弥山頂にある「天界」なので「地上天」といい、「空居天」から上は空中にある「天界」なので、「空中天」となります。
 5 天界と人間界のスケールの相違
 今や医学の進歩発達によって、80、90歳と長生きする人も珍しくないのですが、昔の人は人間の定命を50年としていました。しかし、天界での時間の進み方は人間界とは比べものになりません。「下天」での1日は人間界の50年に、住人の定命は五百歳に相当しますが、「化天」はその1日が人間界の800年、住人の定命は、八千年とされます。現在の日本における平均寿命である男性79.64歳、女性86.39歳を「下天」の尺度に直してみると男性が1.60日、女性で1.73日、100歳という長寿でも2日にすぎず、信長が謡ったように人間の寿命は「下天」のそれと比べればまさに夢幻のように短命なのです。ただ、下天にも寿命というものがあり、その定命は500歳といわれていますので、これを逆に人間界の尺度に換算すると、寿命は、365日×50年×500歳=9,125,000歳ということになり、気の遠くなるような数字となります。
 今日、私もすでに70路を超えてしまい、いつかは審判の手が上がりホイッスルが鳴る訳ですが、人生の終焉を迎えるその時まで勤めて健康に留意し、また、自然探勝、読書などの趣味を活かしながら有意義に過ごしたいものだと考える今日この頃です。
               《仏教の宇宙観・・・仏の住む天界》
仏 界   空中天  天界
無色界
(むしきかい)
四天

非想非非想処(ひそうひひそうしょ)
・・・ここが「有頂天」無所有処(むしょうしょ)
識無辺処(しきむへんしょ)
空無辺処(くうむへんしょ)

  
色 界
(しきかい)
第四禅天

色究竟天(しきくきょうてん)
善見天(ぜんけんてん)
善現天(ぜんげんてん)
無熱天(むねつてん)
無煩天(むぼんてん)
広果天(こうかてん)
福生天(ふくしょうてん)
無雲天(むうんてん)

  
第三禅天

扁浄天(へんじょうてん)
無量浄天(むりょうじょうてん)
少浄天(しょうじょうてん)

楽生天
第二禅天

極光浄天(ごくこうじょうてん)
無量光天(むりょうこうてん)
少光天(しょうこうてん)

初禅天

大梵天(だいぼんてん)
梵補天(ぼんほてん)
梵衆天(ぼんしゅてん)

欲 界
(よくかい)
空居天

他化自在天(たけじざいてん)
楽変化天(らくへんげてん)
観史多天(としたてん)
夜摩天(やまてん)

六欲天
地居(または
四天王天)

三十三天(利天)((「化天」)
四大王衆天(「下天」)

地上天
(須弥山)
人間界  
(注) インターネットの「やさしい仏教入門」などを参照しました。

2011年9月9日