●正月にかかわる事柄・・・元旦・年神・門松などなど便
1 はじめに」
昨年は東日本大震災があって大変な年でしたが、2012(平成24)年の新春をを迎え、元旦は昨日までの年の瀬の喧騒が嘘のように静まり、家の内外に厳粛な空気を感じます。『徒然草』第19段の「折節の移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ』の最後の件(くだり)にも『・・・かくて明けてゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心ちぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ(現代語訳:・・・こうして、元旦の夜明けは、見た目に普段の朝と変わりないが、状況がいつもと違うので特別な心地がする。表通りの様子も松の木を立てて、きらやかに嬉しそうに笑っているから、格別である。)』とあり、やはり新年を迎える喜びは今も昔も変わらないような気がします。そして、私達は「おせち料理」の膳を囲み、酒を酌み交わし、「お年玉」を子供や孫に与えて何となく正月気分に浸るのですが、最近ではややもすれば新年に関わる物事の謂われや日本の伝統的習慣のことなどはほとんど意識することが無くなったように思います。昔は、そこで歳を重ねたといって感慨にふけったものですが、今では正月休みは単なる連休の一つとして捉えているにすぎないような気がしてなりません。「新年明けましておめでとうとございます」ということで、今回は正月にかかわる事柄について少し調べてみました。
2 元旦(がんたん)
その年の1月1日の朝のことを元旦といいますが、そもそも「元旦」は一年の始まりとして正月の満月の夜、年神を迎えて旧年の豊作と平穏とを感謝し、併せて今年の豊穣と平和とを祈念する日でした。これは旧暦の正月15日にあたり太陰太陽暦の時代に使われていた言葉の名残です。日本では、1873(明治6)年から太陽暦を採用して現在に至っていますが、1月15日が旧元旦と一致せず、また、満月かどうかも分かりませんが昔のしきたりは「小正月」として伝承され、今もなお祝いごとを催している場合が多くあるようです。たとえば、上山市の商売繁盛や火伏せを祈願する「カセ鳥」や、災いを取り除き幸福を招く遊佐町の「アマハゲ」などの行事が地方色豊かで長い歴史と伝統を持ったものとして執り行われています。なお、門松や注連縄などの正月飾りを納めて焚き上げる「どんど焼き」は、全国共通の無病息災を願う小正月行事のようです。
3 年神(としがみ)
元旦には各家庭に「年神」が訪れ、その年の幸福を授けてくれるという信仰から、古来から正月の祝いを行います。日本は元来、農耕社会であり、年神の授けてくれる幸福とは五穀、とりわけお米の豊穣でした。『古事記』によれば、建速須佐之男命(たけすさのうのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)が、また、両神の間の子として宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)がおり、これらが穀物神であるとしています。さらに、大年神と香用比売(かよひめ)の間の子に御年神(みとしのかみ)がおり、同様の神格の務めをするとあります。漢和辞典を見てみると、『年という字は、元々その年の稔りの具合や穀物の実りする期間をいい、後に365日余をいうようになった』とあります。一方、陰陽家(いんようか)では、実りを司る神は、娑謁羅竜王(しゃからりゅうおう)の娘で頗梨采女(はりさいじょ)であり、元旦に慈悲の姿となって人間界に来訪するといいます。日本の伝承による「御年神」は、陰陽道の「歳徳神(としとくじん)」と合体し、更に先祖の霊がこれに加えられて、「年神」という新たな霊魂に統一されたといいます。
年神の霊魂は、瑞々しい活力に満ち、生命に限りのある人間に再生産の力を与え、復活させるといわれるようになりました。新年を迎えての「明けましておめでとうございます」は、相手の人間に対するものではなく、年神の霊魂を心から賛美する言葉であり、神への祈りなのです。
陰陽家というのは諸子百家(しょしひゃっか)の一つで、六家の一つに数えられる思想集団で、万物の生成と変化は陰と陽の二種類に分類されるという陰陽思想を説きました。諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称で、諸子には、孔子,荘子、墨子、孟子、荀子等の人物を指し、百家は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派をいいます。後、戦国時代末期に五行思想と一体となった陰陽五行思想として東アジア文化圏に広まりました。
なお、正月のお祝いがいつ頃から行われるようになったかははっきりしないようですが、かなり古いお祭りでああることは確かなようです。
4 門松
年神を各家に迎える目印が「門松」です。年神を迎える依代(よりしろ)としては、榊(榊)、樫(かし)などの常緑樹が用いられてきましたが、平安時代頃から「神待つ木」という意味から松が使われるようになりました。松は常緑樹で、厳寒の季節でも緑を失わず神の降臨する神聖な木となりました。樹齢も長く「松は千歳(せんざい)を契る」と言われます。古くは12月13日に「松迎え」をして、12月20日から28日までの間に、門松として、松を建てるしきたりでした。29日に立てるのを「九松(苦待つ)、31日には「一夜松(誠心の無いの意)」と言って忌み嫌います。鎌倉時代に竹を加えて松竹となり、江戸時代に入ってから一対にして向かって右に雌松、左に雄松を竹と共に立てるようになりました。
年神は、正月の間、年神棚に祀られますが、神棚には新しい注連縄(しめなわ)が張られます。これにより注連縄に囲まれた部分は清浄な神域となるのです。
5 恵方(えほう)
その年に「年神(陰陽道で、その年の福徳を司る神である歳徳神(としとくじん))」が宿る方角は縁起の良い方角とされていて、その「方角」を「恵方」といいます。恵方は明きの方(あきのかた)、兄方(えほう)、天徳などとも呼ばれ、その方向に向かってゆくと、年神によって福が与えられるといいます。現在、初詣が盛んに行われますが、初詣はそもそも「恵方参り」に由来するもので、その年の恵方に当たる神仏に参詣して、豊穣と家内安全を祈願するものであったようです。しかし、今では、単に有名神社に参詣するのが恒例になり、昔は元旦のみに限られていたものが、今では正月三が日に参詣しても初詣と呼んでいます。恵方は、その年の十干(じっかん)によって下表のように決まります。
《その年の十干によって決まる恵方(歳徳神の在する方位)》
年の
十千 |
西暦の
1の位 |
年 |
恵方 |
24方位 |
十二支 |
時計法 |
方位各 |
32方位 |
甲・乙 |
4・9 |
2014年 |
甲 |
寅卯間 |
2時半 |
75度 |
東微北
やや左 |
乙・庚 |
0・5 |
2015年 |
庚 |
申酉間 |
8時半 |
225度 |
西微南
やや左 |
丙・辛
幸・癸 |
1・6
3・8 |
2013年 |
丙 |
巳牛間 |
5時半 |
165度 |
南微東
やや左 |
丁・壬 |
2・7 |
2012年 |
壬 |
亥子間 |
11時半 |
345度 |
北微西
やや左 |
『フリー百科辞典Wikipedia』より)
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