●東日本大震災から十か月

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
●東日本大震災から十か月
 3・11の大震災からまもなく一年が経過しようとしています。メディアは、地震と大津波の映像、原発の恐ろしさ、風評被害等々被災者の心を映す姿を連日報道して人々の生き方を問い続けています。私は最近示唆に富んだコンテンツに出会いました。
 1月の中旬にTV番組ブラタモリ「江戸の盛り場〜吉原編〜」を視聴、解説していた立教大学新座中学校・高等学校校長渡辺憲司という人の話に興味があったので人物像を深掘りしようとネットで検索しました。渡辺憲司氏は函館出身で定時制高校の教諭、私立中学教諭を経て大学教授。経歴より先に目に飛び込んできたのは3・11の東日本大震災で、卒業式を中止した立教新座高校の卒業生に宛てたメッセージ。それは社会の荒海に漕ぎ出す若者たちへの「はなむけ」でした。この「卒業生へのメッセージ」をインターネット上に公開したところ、 Twitter等インターネットを通じて大きな反響を呼び3月15日だけで30万のアクセス回数を記録し全国に広まったということです。私は最近このメッセージを初めて知りました。
 「時に海を見よ」と題したメッセージで「悲惨な現実を前にしても言おう。時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え」と呼びかけています。
 そして「いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ」と大津波をもたらした海に立ち向かえと訴えています。さらに「真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ」と大震災時に卒業したことを心に刻みこませています。
 「鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない」といった言葉は若者だけでなく年齢を超えて人々の心を打ちます。「日本復興の先兵になれ」と結んだこのメッセージはこの学校の卒業生だけでなく、多くの人に感動を呼び瞬く間に80万のアクセスに広がったのでしょう。
 同じ頃にやはりTV番組「山田洋次 50年の時が過ぎて」を視聴。陸前高田市広田小学校の佐々木善仁校長が卒業生の児童の家々や避難先を訪ねて一人一人に卒業証書を読み上げ手渡していました。自分も家を流され妻と二男を亡くしたという佐々木校長、19年前に観た山田監督の映画「学校」で演じた夜間中学の教師(西田敏行)のひたむきな姿を自分に重ねた教師生活だったということです。
 同じ陸前高田市で家を流された人が黄色いハンカチと大漁旗を掲げていた被災者がいました。「絶望の中で希望を持ちたい」と山田監督が北海道を舞台にした映画「幸福の黄色いハンカチ」が記憶によみがえり、自宅の跡地に黄色い旗を立てたと被災者は語っていました。
 山田洋次監督は希望や夢の持てなく時代にあって藤沢周平の作品「たそがれ清兵衛」を映画化したと企画意図を話していました。江戸時代に庄内藩で立身出世を望まず、金は不浄なものとして、家族一緒の簡素な生活に満足する魅力的な日々を求めた気風。大震災で再認識させられた「人と人を結ぶ絆」の原点を「たそがれ清兵衛」の世界に描かれていたことを教えられました。
 TVはインターネットの出現で最近は陰りがみられましたが、震災時に多くの人々に重大な事実と情報を即時に伝えるメディアとして改めて認識させました。一方、インターネットは自分が探し求める情報を探し出すのに威力を発揮しました。黙っていても質の高い情報を受け取ることができる「受け身」のTV、目的をもって自ら調べようと情報に向かっていく「能動」のインターネット、東日本大震災はメディアとしての両者の特性を明確にしました。
  
2012年1月17日