利根川分水路印旛沼古堀筋御普請御用(一)における記述の一部訂正

64回(昭和32年卒) 渡部  功
 
利根川分水路印旛沼古堀筋御普請御用(一)における記述の一部訂正
 7月26日、ホームページを管理してもらっている大山駿次さん経由で、東京都三鷹市在住の同学年(3年時3組)であった久松正章さんから次のような内容のメールをもらいました。
 すなわち、私が2011年4月5日に当該ホームページに投稿した標記の件に関するもので、1 保定記・続保定記及び印旛沼日記の項の本文上から12行目の終わりから13行目にかけての記述「・・・北俣丹道に粥座(しゅくざ::朝食)を設け尽くしました。」は、正しくは「・・・北俣円道(注)に粥座(しゅくざ::朝食)を設け尽くしました。」であるというものでした。
 彼が「利根川分水路印旛沼古堀筋御普請御用」に関わる山形県有形文化財の「保定記・続保定記及び印旛沼日記」の現所有者・久松龍子さんの甥に当たる(彼の母上の実家が久松家で、従って龍子さんは彼の叔母に当たるそうです。)ことをこのメールで初めて知って驚いたのですが、当該ホームページに目を通していてくれたことを嬉しく思うと同時に誤りを指摘してくれたことに謝意を表するものです。
 なお、このメールには「久松家は最上郡金山の出身で、最上氏に追われて山越えをして荘内に移り、開田を行ったとの記録がある」とありましたが、どなたかこの事について仔詳を承知しておられましたらご教授いただきたく思います。
(注) 粥座を設けた所在地を示すもので、旧平田町(現酒田市)大字北俣字円道のことです。

2012年7月26日