●今に生きるアルカディア山形の回想

64回(昭和32年卒) 庄司 英樹
 
今に生きるアルカディア山形の回想
 1878年(明治11)に徒歩、牛や馬に乗って横浜・東京・会津・越後を経て置賜に入り十三峠に立った時「置賜盆地はアジアのアルカディア」と表現したのは英国の女性旅行家・探検家のイザベラ・バード。
 古代ローマに詩人ヴェルギリウスの『牧歌』『農耕詩』の「アルカディア」とは、ギリシャ南部ペレポネソス半島の山岳地方の地名、日本ではこれまで「桃源郷」と訳されてきた。しかし西洋の多くの小説や詩歌、音楽、芸術には牧歌的理想郷の代名詞として描かれ、牧人の楽園と謳われてきたので、最近は「田園理想郷」と訳すのが適しているともいわれる。
 彼女の著書「日本奥地紀行」(翻訳 川西町小松生まれ 高梨健吉慶応大学名誉教授)は1973年(昭和48)に出版、今年になって金坂清則訳注「完訳 奥地紀行1」(3月)「完訳奥地紀行2」(7月・平凡社)が相次ぎ出版された。また渋谷光夫著『イザベラ・バードの山形路・「アルカディア街道散策のススメ」(無明舎2011年8月)も上梓されている。
 1985年(昭和60)策定の第7次山形県総合開発計画に山形県が目指す象徴として「新アルカディア構想」が採りあげられた。板垣清一郎知事から山形県総合開発審議会(会長 伊藤善市)策定に関する諮問が行われ答申された。
 この当時県政記者クラブにいて「アルカディア構想」が生まれる経緯を取材したが記憶が定かでなくなったので県企画部長として計画策定に携わった富塚陽一さん(57回・昭和25年卒 前鶴岡市長)に改めて話をお聞きした。
 「少年時代(旧制中学生・終戦直後)に、田植えの手伝いをした時、農作業は肉体労働で大変だったが、農業者は作物をとても温かく扱い、よく育ってくれるように心から願って作業していることに感動した。それ以来、いつも『農林業者は温かい心で田畑の作業を重ねているから極めて文化性豊かな作物を産出し、広大な平野も若々しい生命にあふれた美しい空間を形成してきた』と思い続けている」という。そこで第7次山形県総合開発計画の策定にあたり山形県の農林業を「明るく夢のある産業」とのイメージで認識し続けられるように「アルカディア山形」の構想を県総合開発審議会に諮ったとのことであった。
 つまり、当県の農業は農作物の生産・金の儲けだけを目的に営まれてきたのではないこと。それは優れた土壌と水に恵まれているのを十分に活用し、その上で文化性も豊かなコメや農作物を生み出し続けてきた"知的で研究心が豊かな農業者・先祖代々の農業者"の尽力のお蔭であると痛感した気持ちを反映させたということであった。その素晴らしい歴史を重ねてきたのは、地域社会全体で地域の特性を築いてきた自然環境の保護・保全、調和をも維持し続けるという極めて重要な配慮、その努力を重ね続けてきたからでもある。山形県の目指す方向を国際的に意識させようという「アルカディア構想」の根源はここにあったということだった。
 今後ともそうした貴重な社会的配慮は続けられるという熱い政策的配慮に基づいて、まず西川町志津の月山のふもとに山形県自然博物園が開園した。「山形県立自然博物園」は、豊かな生態系を残す姥ケ岳南麓の志津地内の約245ヘクタールの広大なエリア(大部分国有林)内に自然体験と、自然学習のフィールドとして整備し、その拠点施設としてネイチャーセンター、ネイチャートレイル、広場等の施設を整備し、1991年(平成3)に開園した。渡部功さん(64回・昭和32年卒)は場所選定(候補地として蔵王坊平地内、吾妻白布温泉地内、鳥海南麓湯の台地内、姥ケ岳南麓の志津地内から1か所)と施設整備(ネイチャーセンター、ネイチャートレイル、広場など)、施設の管理運営体制方針決定の部分に関わり、この種の施設でのボランティア制度の導入は県で初めての試みであって思い出深い仕事の一つという。
 私が入学した当時、母校には文芸部があり、「ZION」という同人誌を毎年編集して発刊していた。当時の部員だった黒田藤一さん(64回・昭和32年卒)ら数人が卒業後50年ぶりに志津温泉に集い、この自然博物園をボランティアの案内で2時間ほど周遊した。新緑のブナの原生林、吹き抜ける風と木々の葉のさやぎ、沢を走り下る水の音、可憐な花をつけた山野草と広大な自然に、首都圏に住むメンバーから大感激された企画だったことを思い出す。
   月山の素晴らしい景色は山形県自然博物園「http://gassan-bunarin.jp/」にアクセスして動画と静止画を選んで閲覧。
 渡部功さんは、山形鶴翔同窓会のHPを管理している大山駿次さん(66回・昭和34年卒)がこの「自然博物園」のインタープリター(自然と人との仲介をして自然解説をする人)として活躍している様子を「大山駿次さんのカタクリの花の観察記録」(2011年7月1日)と題してHPに投稿し紹介している。大山さん個人で作品化した映像は「http://www.youtube.com/user/bunarincom/featured」で閲覧。
 県自然公園博物園のほかに「山形アルカディア」に関わるものとしては、川西町埋蔵文化財資料展示室の前庭に「イザベラ・バード記念塔」、南陽市の「ハイジアパーク南陽」にイザベラ・バード記念コーナー、金山町の小学校隣接の大堰公園にある「イザベラ・バード記念碑」、そして県生涯学習センターが実施した講座とセミナーをまとめた「新アルカディア叢書」が形として名残をとどめている。
 石垣藤子さん(62回・昭和30年卒)から「『アルカディアやまがた』というと同級生の故佐藤敏直君の作曲した『交響讃歌やまがた』を思い出します。最後に混声で歌われるのが『アルカディアやまがた』という大曲です。来年の春に県民会館創立50周年記念として全曲を演奏される予定があるそうです。彼が亡くなってもう10年です」とのメール。危うく同窓生の輝かしい業績を特オチするところだった。
 石垣藤子さんは「幼馴染の佐藤敏直さんを偲ぶ」(2008年2月18日)という題名でHPに投稿している。私も佐藤敏直さんと懇談する機会があった。山形県民会館の創立25周年記念事業としての委嘱作品「交響讃歌やまがた」(80分 1987年)フルスコア(総譜)を手書きで県に納入した。スコアはコピーで納入でもよかったことがわかり、後日に「手書きのフルスコアは記念に自分の手元に残したいと申し入れたところ、県民会館から原譜は探したが残っていないとの返事があった。紛失してしまうような杜撰な管理だったのか‥」と嘆いておられたことを思い出す。
 このように先輩、同期生、友人が、情報やネット上の話題をメールで知らせてくれる。中には「ドイツ人ジャーナリストの原発を巡る恐ろしい話」「大津いじめの 加害者&親の名前・住所・家の写真地図、担任の名前等が明かされている」等々URLを貼り付けてあるので閲覧するが驚く内容のこともある。
 7月にはインターネット上に「アルカディア山形ルネサンス」の講義がなされているとの情報提供があった。検索するとYouTubeとFacebookで閲覧できた。
 尚美学園大学学長の松田義幸さん(65回・昭和33年卒)の講義「都市と芸術」の最終13回目(最終講義)、『芸術表現の源泉・ディオニソス祭〜Arcadiaに魅せられた自分史』である。
 講義のテーマは
 (T)「イザベラ・バードのアルカディア山形」(U)「日本の伝統的文学・芸術観」(V)「3.11以降の青い鳥「断捨離」(W)田園文学・芸術の源泉「ディオニソス祭」(X)SATOYAMAイニシアティブとジャポニズム・ルネサンス」 1時間半の講義だが、その内容は、1970代80年代「アルカディア山形」地域振興策、1994年芭蕉「奥の細道」紀行記念 300年祭、1992年「出羽三山開山」1400年祭、アルカディア山形の学習塾活動」、最上川とナイル河の不思議な縁、 500年続く田園神事能「黒川能」、竹下数馬著「死と再生の文学―芭蕉奥の細道の秘密、森敦著「月山」「われ逝くもののごとく」、折口信夫博士・岡野弘彦先生の文学・芸術の起源、松尾芭蕉の文学・芸術観など山形県の文学芸術観が展開されている。
去年文化勲章を受章した母校の先輩丸谷才一氏の「源氏物語は日本文学の最高傑作で、間違いなく世界最初の小説」「日本の三千年前は、母親が家族の長、社会の指導者であり、女神の文化。これが源氏物語の成立の背景にある。千年もの間広く読まれるのは人類文化そのものが母権的な時代に変わろうとする兆候という持論を理解できるヒントもこの講義から得ることができた。
 松田義幸さんは、「日本の里山文化」を世界遺産プロジェクトとして提案するために山形県の農業高校にも参加を呼びかけ里山プロジェクト推進の人材育成に乗り出したいと夢を語っている。1時間25分の講義は以下で閲覧。
「http://www.youtube.com/watch?v=XCNl2b0SHYA」
 知事が交代するとブレーンとなる総合開発審議会のメンバーも入れ替わり、「山形県総合開発計画」は1993年(平成5)に見直しが行われ、「山形県新総合発展計画・ひとはばたくゆとり都」という名称で1995年(平成7)に高橋和雄知事に答申がなされた。発展計画から「アルカディア山形」の文言は消えた。しかしながら「アルカディア山形」の精神は引き継がれているという。
 「アルカディア」という言葉を使っている状況をインターネット検索すると、いまなお一番多く使われているのが山形県である。富塚陽一さんの話にあった"知的で研究心が豊かな農業者"は晴耕雨読のアルカディアの気風と土壌によって育てられてきた。松田義幸さんは高山樗牛、齋藤茂吉、相良守峯、藤沢周平、丸谷才一、真壁仁等々、数多くの文人を輩出してきた風土こそが「アルカディア」そのものであると指摘する。ならば「アルカディア山形」は山形県の目指す方向性を国際的に意識させる理念であり、世界に「里山イニシアティブ」プロジェクトとして脚光を浴びる可能性を秘めているといえよう。
 「交響賛歌やまがた」「アルカディアやまがた」の演奏と混声合唱が世界に響きわたる「田園理想郷やまがた」が近い将来実現することをひそかに期待している。
  
2012年9月24日